変人?怪物?ただの人?
誰もいない剣道場で、が一人稽古に打ち込むのを土方はそっと観察していた。
ここは真選組屯所内に備え付けられている剣道場である。
国家機関の持つ道場だけあって、その広さは小さめの体育館の3分の2ほどの広さを誇る。
磨かれた床や整理された備品、使い込まれた道具たちは隊士達がどれほど剣への向上心が高く技術を磨くための道場を神聖視しているかが窺い知れる。
時刻は午前六時三十分頃。は昨日もこの時間帯にこの道場を訪れ、一人稽古に打ち込んでいた。
この時間帯は、全くと言っていいほど利用者がいない。
午後であれば、職務に余裕のある暇人達で道場は賑わう。
「297…298・・・299」
彼女は小さく数を数えながら、少し長めの木刀を振っている。
は特に小柄な体格のため、彼らにとってちょうどいい長さでも彼女が持つとより一層その長さが強調される。
剣先には五キロの重りを付けられ、その重さと遠心力に体が持っていかれない様に注意しながらは素振りを繰り返す。
この数日、土方は彼女の練習風景を観察していたが結局彼女の流派がどこに位置するのかは不明なままだった。
隠れて観察している土方の目には、乱れる呼吸を整え剣筋が真っ直ぐに軌道を描くように慎重に振り抜く真面目なの姿が映っている。
「300!」
ゆっくり三秒ほど数えては木刀を下ろした。彼女は長く息を吐き、乱れた呼吸を整える。
いつの間にかかいていた大量の汗を、手の甲でぐっと拭った。
昨日と同じメニューを彼女が一通り終えたのを確認すると、土方は道場の入口へと足を向けた。
土方は昨日とほぼ同じタイミングで、背を向けるに声をかけた。
「毎朝ご苦労だな」
彼がかけた言葉にはパッと振り向くと、驚いたように目を見張った。
そしてさっと姿勢を正すと、綺麗な所作で頭を下げた。
「土方さん、おはようございます」
頭を上げると、はにこやかにあいさつをした。土方はそれに「おう」と簡単に応じた。
彼女のその様を見て、よく躾けられているなと改めて思った。
真選組は腕に覚えのある猛者の寄せ集めのような集団である。
如何に武道を身につけていると言っても、彼女の様に礼儀正しい人間はある種貴重である。
残念ながら彼らの属する組織は、どちらかというと腕っ節の強さに重きが置かれる。
はヘラリと頬を緩め
「日課です。これやらないと調子でなくて」
と木刀から重石を外しながら答えた。土方はそうかと短く答え、道場内に入る。
「土方さんは今日もお早いんですね」
は取り留めもない言葉を紡いだ。それに土方は眉ひとつ動かさずに、適当にあしらう。
「ついでだ。一手頼むぜ」
土方は手に持っていた木刀を構えた。土方は昨日も同じように彼女に手合わせを申し込んだ。
一つは、彼女の流派などに関する情報を引き出すこと。
一つは、今後彼女を使う為に彼女の実力を正確に彼が把握しておく必要があるためだ。
そんな彼の事情など露程も知らないは、何が嬉しいのか頬を緩めた。
はさっきまで利用していた重りを邪魔にならないように隅に寄せ、戻ってくると木刀を短く握り土方に対峙した。
「ご指南、よろしくお願いします」
そう言うと、彼女は何の躊躇いもなく土方に打ち込んできた。
土方はそれを難無く受け止めると、今度は土方がに打ち込んだ。
しかし、は土方の打ち込んできた勢いを殺すことなく木刀の樋で土方の木刀を滑らし、一気に彼の懐へと潜り込む。
土方は舌打ちすると咄嗟に片手を離し、彼女が余らせている柄を掴み彼女の勢いを止めた。
彼女は突然止まった自分の速度に驚き、慌てて土方の腕を蹴り上げて距離を取った。
土方の間合いに入るか入らないかの絶妙な距離で、彼女はジリジリと次の手を窺っている。
土方はその様子を冷静に見定め、彼女が使い辛そうにしている木刀に注目した。
もしも、これが小太刀であれば危なかったかもしれない。
彼女にとって慣れないせいか、隙が多くなっているが昨日よりも動きは随分良くなっている。
しかし、このままでは多少が不憫である。鍛錬とは正しく行わなければまるで意味がない。
今彼女が行っている方法では、彼女の実力が発揮されずらいくらやったところであまり意味がないだろう。
近いうちに何とかしてやらなければならないと考えつつ、土方は自分から一気にに詰め寄った。
はとんとんと軽くステップを踏みながら、土方から距離を取り彼の踏み込みが一番深くなった一瞬に狙いを定めた。
しかし、それ見越していた土方は、抉る様に更にに詰め寄った。
は咄嗟に体を捻り彼の追撃を逃れると、器用に彼の足を引っ掛ける。
土方はたたらを踏んで、転ばない様に何とか態勢を整えた。
そこをが見過ごす筈もなく、彼女は遠慮もなく追撃を開始する。
土方は態勢を整えながら彼女の連撃を受け止める。
彼女の剣筋は綺麗な円を描くように、次の一手のための無駄がない。
しかし、打ち込んでくる剣はまるで重みがない。
真選組では剛腕でものを言わす者が多い中、彼女の剣は打ち込まれても簡単に受け止められる。
一方、それに油断していると今度は足やら腕が出てくる。
本来であれば左腕に鞘を持ち、今以上に厄介な戦法になってくる筈である。
そして、そちらに気を取られると、今度は恐ろしいほど正確に急所を突く剣が伸びてくる。
速さでいえば、沖田に何とかついていけなくもないくらいかと土方は彼女を評価する。
が、沖田の場合は早さだけではなく力も強い為、無闇に受け止めれば刀が弾き飛ばされる。
は自分の性質をよく理解しながら、自分にあった戦法を掴んでいる。
その事は高く評価するに値すると土方は思うが、一つ大きな気掛かりがあった。
暫く様子を見ながら、しかし攻める手は緩めずに土方はを観察する。
すると、彼の予想通り彼女のそれまでの早さが見る見るうちに減速していく。
更に、極端に手数が減り、防戦一方になっていく。
土方は止め時かと考え、の持つ木刀を容赦なく叩き落とした。
すると、彼女の手から簡単に木刀が離れる。
はハッハッと浅い息を繰り返しながら、土方を見上げていた。
それは昨日と同じ様子で、肩を上下に激しく動かし頬は紅潮している。
「今日はここまでだ。顔洗いに行くぞ」
土方は自分が叩き落とした木刀を拾うと、道場の外にある水場へと足を進める。
は激しい息遣いの間にか細い声で彼に礼を告げると、道場の隅に置いていた重りを拾い上げて黙って土方の後に続いた。
その気配を背中で感じながら、土方は自分の周りにいる女達について考える。
一人は戦闘種族であるチャイナ服の娘。一人はゴリラも蒼白の鉄拳を持つ娘。
そして、最後は名門の誉れ高い道場の跡取り娘。
その誰を取っても、今彼が抱いている不信感は感じられない。
それは彼女達が一般とはかけ離れた規格外の人間だからか。
土方は胸の内で、の体力のなさに大きな不安を感じるのである。
2015/12/05 再投稿
2012/06/07