鴉がないたら帰ろう
飛び出してきた近藤は、一直線にへと駆け寄ってきた。
「ああああ!!やっと見つけた!!」
大の大人が汚い面を下げ、両腕をめいいっぱいに広げている。
しかしの方は反射的に両手を突っ張り、近づくことを全力で拒否した。
「うわああぁぁぁ!!汚い汚い!!寄らないでーーー!!」
と近藤の攻防が繰り広げられている間、沖田は無線に向かって呑気に間延びした言い方で他の隊士たちに指示を送っていた。
「ターゲット捕獲しやした〜。全員持ち場に戻れ〜」
「こんのクソ餓鬼ィ!!」
運転席から降りてきた土方は、怒鳴りながら近藤と攻防を繰り広げているの脳天に思いっきりはりせんをお見舞いした。
「痛い!!の、脳細胞が、あたしの脳細胞が死滅する…ってかなんではりせん?どっからはりせんが…」
不意打ちでもろに食らったは、目の前に星が飛んだ。
両手で叩かれた所を抑えながら、涙ぐむ。
「散々手間取らせやがって!!てめぇ、こんなところで何してやがった!?」
「あ、あの、それが、帰ろうと思ったら道に迷ってしまって」
「アホかぁ!!どんな迷い方したらこんな江戸の端っこまで来れるんだ!!」
「だって、コンパス持ってないんだから地図に北とか南とか書かれても分かりませんよ!!右か左かで書いてくれないと!!」
「お前は寺子屋からやり直してこい!!」
土方はもう一度はりせんを振り下ろした。
今度も見事に決められてしまったは、だぁっ!と悲鳴を上げた。
「まぁまぁトシ。そう怒るな、こうやって無事だったんだし」
さっきまで動揺しまくりだった近藤が、の頭を撫でてやりながら鬼の形相の土方を宥めた。
は大人しくそれを享受しながら、少しばかり怨みがましく瞳を潤ませた。
「それにしても、よく分りましたね。あたしはもう、ここがどこなのかさっぱり分らないのに」
は不思議そうに呟いた。それに三人はそれぞれ苦い顔をした。
何故なら彼女一人を探し出すのに、真選組隊士を総動員して江戸中を探し回っていたからだ。人海戦術を駆使し、町中の監視カメラの映像を調べつくした結果、やっと彼女が最後に向かったであろう方向へと車を飛ばしたのである。
それでもこんなに時間がかかってしまったのは、の姿があちこちに必要以上に確認され目的地が全く推測できず江戸の外れまで来ていたせいであった。
なんだかんだと理屈や文句を言っても、そこに住まう人の安寧を彼らは何より望んでいるのだ。
不器用な彼らが、それを口に出すことはない。
「おい、お前のせいで俺まで使われちまったじゃねぇか。この借りどうやって返してもらおっかな〜」
「いひゃいいひゃいっ」
沖田はにやりと笑いながら、の柔らかな頬を何の躊躇いもなく引き伸ばした。
はばしばしとその手を叩きながら抵抗する。
「〜〜本当にすみませんでしたっ。今日のところはこれで勘弁してください」
なんとか解放されたは、つねられた頬を擦りながら持っていた袋を恭しく差し出す。
「何ですかィ?それ」
「お団子です。皆さんと一緒に食べようと思って」
は嬉しそうに笑いながら、自分が持っていた袋を沖田に押し付けた。
それを受け取った沖田は、早速袋の中を物色した。
「そんな気ぃ使わなくてもいいのに〜」
近藤はニコニコ、ニコニコ笑いながら彼女の頭を撫でてやった。
「自分のお金じゃないですけどね」
「いい子だな〜ちゃんは、本当にいい子だ」
近藤は我が事の様に嬉しそうに頷く一方で、土方はその様子を嫌そうな目で見つめた。
「おい」
沖田が袋の中身を見ながら、に呼びかけた。
「なんですか?もしかして、嫌いなものでもありましたか?」
は少し不安そうに沖田を見上げた。
「潰れてんじゃねぇか。ふざけんな」
「った!」
の心配をよそに、沖田は彼女の頭をペシリと叩いた。
彼女の差し出した袋に入っていた団子たちは、たれと餡が入り乱れ容器は押し潰された様になっていた。
やっぱり購入した時にたれの団子と餡子が乗っている団子を別々の容器に入れてもらうべきだったと、は今更ながらに後悔した。
「てめぇは、俺達にこんな潰れたもんで十分だって言いたいんですかぃ?」
沖田は笑いながらどす黒いオーラを滲み出し、の頭を片手で鷲掴むとぎりぎりと力を入れて締め付けた。
は必死に頭を左右に振り弁解する。
「違う違う違う!事故です事故!!そんなつもり全然なかったんです!!」
そう言えば、彼女はさっき腕の中で押しつぶしてしまった事を思いだした。
ギリギリと締めつけられる容赦のない痛みに、はこのままでは頭が変な形に変形しそうで恐怖を覚えた。
「まぁ、いいじゃないか、ワザとじゃないんだし。ほら、ほら、帰るぞ」
言いながら近藤は車へと足を向ける。
それに倣うように土方もついて行き、沖田もの頭から手を離して踵を返した。
は痛む頭を擦りながらそれに続こうとして、ぴたりと足が止まってしまった。
動かそうと思うのに、彼女の足は一向に動いてはくれなかった。
本当に、そこに続いてもいいのだろうか。
彼女の疑念がプクリとまた膨らみだした。
向けられる黒い大きな背中達を彼女は知っているようで知らない。
彼女は本来この世界にはいない存在である。だからここにいてはいけない様な気がしてくる。
本当はここにいない、帰る場所も待つ人もこの世界にはいない筈なのだ。
「何突っ立ってんでィ?」
いつまでもついてくる様子のないに、沖田は訝しげに振り返った。
彼の言葉に少し前を歩いていた土方も振り返る。
「さっさとしろ、こちとら腹減ってんだ」
少し不機嫌そうに土方は言った。まるで、彼女が彼らと共に屯所に戻ることが当たり前のように。
そこに、何の疑問も抱いていないように。むしろ、彼女が来ない事の方が不思議であるように。
「あ、えっと…」
必要な言葉が出ない。何を言っていいのか、何を言えばいいのか彼女は咄嗟に分からなかった。
疑念が彼女の喉を塞ぎ、不安が彼女の両足を地面へと縫い付ける。
彼らと開いているのはほんの数メートルである筈なのに、にはそれが遥か彼方の様に思えた。
「お〜い、何してんの〜?ちゃん、早くしないとおいてっちゃうぞ〜」
近藤が助手席から身を乗り出し、めいいっぱいに手招きをしている。
既に三十路近くの大人が、年甲斐もなく嬉しそうに笑っている。
そこに何の不審も、少しの心許無さも感じ取れない。
彼女を迎え入れたあの日の様に、真っ直ぐな曇り一つない瞳だった。
は突然目の前が開かれた様に、目が覚めるような感覚に襲われる。
そして彼女はここでようやく気がつくのである。
この世界に、を待ってくれている人がいる事に。
この世界に、が帰れる場所がある事に。
そして、彼女の目の前にはの事を心から心配してくれる人がいる事に。
は急いで足を踏み出した。まるで、土砂降りの雨から一気に空が晴れた様な気分だった。
それまでが嘘のように、疲れ切った脚は軽やかだ。
「待ってくださいよ!」
ないなら作ればいい。
『ちゃん!!今日からオレ達が君の仲間だ!!独りじゃないからな!!』
彼女の耳に、目の前の男の声がもう一度聞こえる。
それから彼女はとんでもない間違いに気付くのである。
は最初から貰っていたのだ。真選組局長である近藤勲に。
彼らが待つ場所に、は帰ればいい。を迎えに彼らが現れたならば、その手を取り共に戻ればいい。
この世界で唯一の帰る場所は、
2015/10/03 再投稿
2011/12/25