人の事なんて結局よく分からない



 大雨の中、増水して荒れ狂う川に突っ込んでいった少女へ近藤は必死に手を伸ばした。
何とか川から引き上げた少女は、水を吸って重くなっている衣類を足しても近藤の腕には軽く感じられた。
手足も細く、あまりにも少女の存在は不確かなものの様に思えた。



 あの日の情景を思い出しながら、近藤は今目の前にいる少女に目を奪われた。

「まさか、ここまでとはな」

今にも消えてしまいそうだった少女とはまるで別人だ。
近藤も他の野次馬達同様に、いつの間にか彼女の立合に感嘆を漏らし見入っていた。
隊内では一番若い沖田と同じ位の年の頃のいたいけな少女に、これほどまでに剣術の才能があったことを驚かずにはいられなかった。
自分たちよりも小柄な少女が、大の男たちを薙ぎ倒す様は壮観だ。まさに逸材である。

「あれ、何流なんですかィ?」

七人目の隊士が床に沈むのを眺めながら沖田は近藤に問うた。
近藤はチラリと隣にいる沖田を盗み見ると、沖田はいつになく真剣な面持ちで少女を注意深く観察していた。
近藤の眼には、沖田が自分の中に疼く闘争心を宥めているようにも見えた。

「オレは見たことないな。トシ、分かるか?」
「さぁ、俺もみたことねぇよ」

近藤に問いかけられた土方も、難しい顔をしている。

「我流か…実戦向きだな」

土方の見解に、近藤も同意見だった。
小太刀のみの流派など、そもそも存在しない。
ある特定の流派においておまけとして存在する。
つまり、小太刀だけで立ち回ることはほとんど不可能に近いと考えられ、小太刀のみの確立された流派が存在しない。
この事から小太刀を扱う際はその動きに必ずどこかの流派の特徴が出るはずであるが、まるでそんな様子は無い。

分かる事と言えば、力任せにごり押しする自分たちの剣術とは違い流れるように力を分散させ隙を作り正確に急所を突く。
考え方的には、合気道などにも通じる剣術だ。男よりも非力な女の剣術とも取れた。
剣だけでなく、手に足にとその動き全てで相手を翻弄している。木刀を通常では考えられない短い位置で持っている所を見ると、苦し紛れに機転を利かしているようだった。

近藤は彼女の勇猛な姿を賞賛するとともに、一抹の不安を覚えた。
彼女の年齢から言えば、戦争を経験していない世代である。
近藤達の様な職業ならいざ知らず、どうして彼女はここまで武芸を心得ているのだろうか。
柳生家の様に今尚名門と謳われる剣術道場の人間ならともかく、その存在すらあやふやな少女が何故こんなにも実戦向きに鍛え上げられているのだろうか。
近藤はこんなことならいっそのこと何も出来ない年相応の少女でいて欲しかったと、立合いを止めなかった自分を今更ながらに後悔した。

こちら側で身元が特定できない以上、これが彼女の答えでもあった。
こちら側ではない、政府側では特定できない人間。つまるところ、近藤達が日夜追っている反政府勢力の一員に相違ないと考えるのが定石である。
真選組の大多数の人間にここまでおしみなくその手の内を披露している事が懸念事項ではあるが、彼女の追求はより一層厳しくなるに違いない。
それを近藤が許しても、彼の腹心の部下達がそれを決して許しはしないだろう。

「お、組長助勤がやられたぞ。いい腕してるなぁ」

どれ程の覚悟を持って、彼女は腕を磨いたのだろうかと近藤は思案する。
何故ここまで彼女はあの小太刀にこだわるのか。
いづれにしても、このままこの腕を腐らせておくには大変もったいないとさえ思う。

 近藤があれこれと考えているうちに、痺れを切らした沖田が動いた。
それまで傍観に徹していた沖田が、小太刀を持って彼女へと歩いていった。
彼の片手には青菜が、もう一方には沖田の愛刀が握られていた。

「ほらよ」

そう言って沖田は、青菜をへ投げて寄越し道場の所定の位置に着いた。
は危なげもなく青菜を受け取ると、そのぞんざいな扱いに眉を顰めた
またに青菜を返した、という雰囲気ではない。

「構えなせぇ」

沖田は自身の腰に差してある刀をスラリと抜いた。
日の光に照らされた鈍色の刃は、光を反射し冷たく光った。
その光はの目を鋭く刺す。折角自分の手元に戻った青菜に嬉々とする暇もなく、沖田の行動には困惑する。

「どういうつもりですか?」

沖田の行動を理解できず、は彼に問うしかなかった。
対する沖田は、無表情で刀を構える。

「そいつで俺にかすり傷一つでもつけられたら、返してやらァ」

そう言って、沖田は獰猛に笑った。は彼の言葉に目を見張った。
沖田の言っているのは先程までの試合ではなく、白刃の上に用意されたスリルを彼女に要求したのである。

「総悟やめろ!!」

これ以上は無意味であり、下手をすれば取り返しがつかない。
沖田は刀を持つと生来の気性の荒さが、爆発する。
そして、若さゆえにそれをコントロールするのが下手なのだ。
近藤は止めに入ろうとしたが、土方に止められ近藤は土方を睨んだ。

「おもしれえじゃねえか。やらしてやろーぜ」

驚いた近藤の目に映ったのは、獲物を狩る時の獰猛な光が宿った土方であった。
小太刀こそが、彼女の本領を発揮させるのだろう。
癖の悪い手足は、間違いなく小太刀を扱う者が見せる戦闘方法の一種であった。
そしてここで刀を抜くということは、自らその立場を暴露するようなものだった。
普通に生活している少女が、人の命を獲る可能性のある剣を抜くことを躊躇わないはずがない。
全てを見越して、彼らは彼女を試そうとしているのである。

 は沖田の行動に戸惑いながらも小太刀を鞘から抜いた。
右手にかかる重みは既に馴染んだものであるはずが、何故だか今日はその重さが異常なほど重く感じた。
まるで、彼女に青菜を託された日のようにずっしりと重みを感じる。

青菜を握った右腕を沖田に向かって構える。右手の先にある刃に視線を落す。
この小太刀を稽古以外で人に向けた事など、彼女にはたった一人以外に今まで一度となかった。
すっと沖田をみる。どこまでも傲慢で、横柄なその態度を全身に醸し出しているのに隙のない構えだった。

「いざ尋常に」

かけられる声が、空気を震わせる。
道場内に緊張が走り、一気に温度が低下した。

「始めっ!」

神速とも呼べるような早さで沖田は、に肉薄した。





2015/05/09 再投稿
2011/02/21


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