人は見た目で判断してはいけません
道場には、既に多くの野次馬達が集まっていた。
その中には、心配そうに見守る近藤と傍観を決め込んだ土方がいた。
「防具なくていいんですかィ?可愛い顔に傷がつきやすゼ」
沖田はニヤリといやらしい笑みを浮かべた。
「ご心配なく。それより、貴方が相手じゃないんですか?」
は壁際で物見を決め込んでいる沖田を睨んだ。
沖田の代わりに、彼よりも幾分か年嵩の男が木刀を握り立っていた。
「馬鹿言いやさんな。俺は真選組の隊長ですぜ?素人相手に立合なんてするわけねぇや」
どこまでも見くびった態度に、は彼を睨みつけた。
沖田は全く意にも介さず壁に体を預けている。
流石にここまであからさまな態度となると、腹の底からぐつぐつと怒りが湧き上がる。
は稽古着の上から胸元を撫で、いつもの感触を確かめる。
胸元にあるロケットの固さに、いくらか冷静さを取り戻す。
彼が自分を小馬鹿にするのは、自分の力量を知らないからだと言い聞かす。
沖田はが女である事、同年代と比べても明らかに小さい背丈に華奢な手足で判断したのだろうと見当をつける。
しかし、その油断こそがにとって好都合である。
「ルールは?」
は目の前の男に向き直り、沖田に問うた。
絶対に負けられない、絶対に負けない、彼女の大切な人が正しいと信じる事が彼女の自信になる。
「俺たちゃお行儀のいい剣道ってのをしたことないんで、なんでもありでお願いしヤす。参ったって言うかこっちで止めに入りまさぁ。安心して下せィ」
「分かりました」
沖田だけではなく、近藤や土方達も沖田が出した条件をがあっさりと承諾した事に訝しんだ。
それは真選組の人間にとって、有利な勝敗基準だった。
まずまともな神経なら異議を唱えるだろう。
彼らが提示したのは、スポーツマンシップもくそもないルール無用の殴り合いなのだ。
しかし、同時に彼女にとっても願っても無いことだった。
実は彼女も剣道というものを全く知らない。
彼女の扱う剣術は一風変わったもので、正式な剣道の試合では論外だった。
しかし、そんな事は彼女以外知るわけがない。
一方はにとって当たり前の事が、実は世間一般では当たり前ではないということが分からない。
なので彼らが訝しむ理由も、現在進行形で納得がいかないと思われている事も知る由もない。
は道場の中央に移動し、待っていた隊士と向き合う。
彼女はゆっくりと鼻から息を吸い込み深呼吸した。
―――大丈夫。今日はとっても冴えて調子がいい―――
に対峙する男は、余裕の笑みで彼女を見下ろす。
は準備運動がわりに、木刀を何度か素振りした。
ここでやっと、いつも以上に体が軽く感じる事に気がついた。
不思議に思いつつも、特に気にする事もなく目の前の相手に集中する。
「いざ、尋常に」
隊士は上段の構えをとる。
一方はそれを見て下段に構える。
見物している隊士たちは皆、少女を嘲笑った。やはり素人だと。
通常上段に構える相手に対し、下段で構えるなど脳天を狙ってくださいと言っているようなものだ。
そんなことも分からない『素人』に、日々死線を潜り抜けている彼らが負ける筈はないと皆が確信した。
目に見えた勝負に、誰もが興味を失った。
「始め!!」
開始の合図とともに、向かい合った二人は相手に向って飛び出した。
隊士は上段からの脳天目掛けて思いっきり木刀を振り下ろす。
は己の姿勢を低くした。
そして足の屈伸を活かし、木刀の刃の部分を上に手首をひねり相手の柄頭目掛けて思い切り振り上げた。
スパアアァァァン!!
狙いは正確に相手の柄頭を弾き、隊士の手の中から木刀が離れ宙を舞う。
第2撃目は男の脳天を容赦なく叩き落とす。
バタンと音を立てて、真選組の隊士が倒れた。
少し離れたところに、隊士の手から飛ばされた木刀が転がる。
倒れた隊士はピクリとも動かなくなった。
「おい、おい、おい、マジでか」
道場内に動揺とどよめきが起こる。
一瞬、たった一瞬で勝負がついてしまった。
彼らが予想した結果ではなく、誰もが予期しない結果だった。
「あたしの勝ちですね」
道場内にの透き通る声が響いた。
胸を張り、沖田に余裕の笑みを見せながらさも当然だと顔面に貼り付けて。
彼女の態度に、誰もが苦渋の面を晒す。
真選組隊士たちには、誇りとそれに見合うだけの実績がある。
それは末席に当たる隊士であっても、同じ事が言える。
彼らの実力と経験を持ってすれば、目の前の少女に負けるはずは無かった。負けてはならかった。
しかし、勝ったのは真選組隊士ではなく、少女だった。
彼らとは対極するように、は今までにない高揚感を感じていた。
体が驚くほど軽い。こんなに体が軽いと感じた事は、彼女の短い人生の中で一度たりともなかった。
筋肉一つ、関節一つ動かす事が歓喜に溺れる様な錯覚に陥る。
まるで、羽根でも生えたかと錯覚するほどだった。
目は面白いほどに剣筋、相手の動きが捉えられる。
簡単に相手の次の動きが予測できた。
相手の次の動きを狙い済まして叩き落す。
人を負かす事がこんなに簡単なことだったとは、彼女は今日はじめて知った。
は負ける気がしなかった。
道場に立ち籠めた暗雲の空気を裂くように、野次馬の中にいた男が前に出た。
「次は俺が相手だお譲ちゃん」
「分かりました。あたしの実力を認めていただきます」
誰よりも体の小さなは、ここにいる屈強な男どもよりも余程堂々としていた。
は男に向かって駆け出した。
2015/04/26 再投稿
2011/02/20