どこでもないどれでもないどこにもいない



 世の中には小説よりも現実の方が奇妙な事があると、どこの誰が言ったのか。
まさか自分の身に起こりうるとは、彼女は夢にも思っていなかった。
はただただ、呆気にとられていた。
川に落ちた事もあの現場に居合わせてしまったのも、現状の奇妙奇天烈な状況に比べれば可愛かったのかもしれない。

 は、少し前に見覚えのない部屋で目を覚ました。混乱している所に、医師を名乗る老人が姿を現した。
松本良順と名乗った彼は、彼女が眠っている間の事を簡潔に説明した。
そして、彼女の命の恩人と会わせてくれると言って出て行った。彼の代りに入ってきたのは想像も出来ない人達だった。

先ほど入ってきたのは、揃いの黒い制服に身を包んだ近藤、土方、沖田だった。はこの三人をよく知っている。
よく知っているといっても、それはの一方通行であり彼らとの直接的な面識はない。
それは、彼らが現実に存在しない対象として彼女が彼らを認識しているからだ。そう、彼らは現実に存在しない。
架空の人物、漫画の中でしか存在しない筈の人間だ。しかし、堂々と座っている三人は見間違いようもなく、彼らだった。
実はまだ夢の中で、夢オチということも十分にあり得る。

「いや〜、目が覚めて良かった!!三日間も寝たままだから心配してたんだ」

近藤は豪快に笑って、友好的に彼女に笑いかけた。
鼓膜を震わす振動が、彼女を現実逃避から連れ戻す。

「ご迷惑をおかけしました。私はと申します」

は内心焦っているが、表面上は平静を装った。
今ここで変な事を口走るのは良くないと直感し、無難に挨拶した。

「俺は近藤勲だ、よろしくな」

知ってます。なんて、彼女は口が裂けても言えなかった。
冷や汗が背筋を大量に流れるのを知りもしないで、近藤は後ろに控えている二人を彼女に順に紹介した。
土方はその鋭すぎる眼光でを射抜き、沖田はまったく感情の読めないポーカーフェイスで彼女を観察しているようだった。

「あの、危ないところを助けていただいて、本当にありがとうございました」

は行儀よく、丁寧に近藤に頭を下げた。

「なぁに、当たり前のことをしただけさ。それにしても、どうしてあんな無謀なことを?」

近藤はの顔色を窺いながら、困った様な顔をしながら問いかけた。

「まさかとは思うが…自殺じゃないだろうな」

近藤にしては珍しく少し口籠ると、彼の眉間に皺が寄った。
それにはいいえと静かに首を振った。
躊躇う様に視線を彷徨わせ、ぽつぽつと言葉を落としていく。

「その、たまたま出くわしてしまって…殺人、現場に…」

の脳裏に鮮明に蘇る。耳を塞ぎそうになる雷鳴と体を濡らす冷たい雨。
噎せ返りそうな土と雨の臭いに混じる鉄錆の臭い。足元に広がる真っ赤な海。
の背筋をゾクゾクとしたものがゆっくりと這い上がる。

「怖くなって逃げました…追いかけられて、逃げてるうちに誤って川に落ちてしまいました」

俯いたの頭に、ポンと温かな重みが重なった。

「そうか、そうか。怖かっただろう。だが、もう大丈夫だ!!」

近藤は快活な笑顔で力強く頷いた。その笑顔に、は自然と肩の力が抜けた。

「近藤さん、セクハラですぜィ」

それまで黙っていた沖田が、口の端だけにやりと上げ言葉を紡ぐ。

「違いますースキンシップですー」
「本人がセクハラって思っただけで、セクハラなんですぜィ」
「んなことないもんねー!!なぁちゃん」

いきなり話を振られては、はぁと曖昧な返事をした。
それみろと、近藤は得意げな顔をする。大人げない二人のやり取りに終止符を打ったのは、の声だった。

「あの!!あたしを助けていただいた時にあたし何か持ってませんでしたか?」

その一言に、その場の空気が一変したのを彼女は肌で感じ取った。
その事に疑問を感じたが、差し出されたそれにその疑問はすぐに彼女の脳内から吹っ飛んでしまった。

「あんたの言ってんのは、コレですかい?」

沖田の手に握られていたのは、間違いなく彼女が探していたものだった。
が目を覚ました時自分の手元にそれがない事に気付き血の気が下がったが、失くしたのではないと知りは安堵した。

「よかったぁ、失くしたかと思ってたんです!!ありがとうございます」

それを見たとき、の顔はパッと明るくなった。そして、沖田が握っている小太刀を受取ろうと手を伸ばす。

「おっと」

が、彼女が受け取ろうとした小太刀をさっと彼女の手の届かない位置に避ける。
にやりと笑う彼の眼は、少しも笑っていなかった。

「…どういうつもりですか?」

軽く睨みつけても、彼にはどこ吹く風である。
その態度には苛立ちを何とか堪え、出来るだけ丁寧に懇願する。

「返してください。それは、大切なものなんです」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。廃刀令を知らェのか」

それまで黙っていた土方が、低い声音で圧力をかける。
そちらに目を向けると、瞳孔がかっぴらいた男がを上から見下ろす。
獰猛な獣を連想させるその鋭い視線に、彼女は気押されそうになるが何とか言葉を紡いだ。

「…知ってます」

は歯を割りそうなほど噛み締めた。彼が言いたい事が分からないわけではない。
しかし、それで簡単に納得できるほど、彼女にとっての小太刀は安いものではなかった。

「じゃぁ、分かんだろ?持ってるだけでも犯罪なんだよ」
「それでも、それでも返してください!!それは命よりも大切なものです!!だから」
「廃刀令のこのご時世に、こんなもん持つたぁどういった了見だ?」

既に質問ではなく詰問に為り変ったやり取りに、とうとう彼女は痺れを切らして声を荒げた。

「いいから返して!!その刀は、その刀だけは!!」

彼女は、思わず叫んでいた。なりふりなど構っていられないほど、彼女にとって小太刀は大切なものだった。
彼女に残されたたった一振の小太刀。大切な人との唯一残された形ある絆の証だ。
そして彼女は誓ったのだ。どんな事をしても護ると。
決して違わぬと誓った。


彼女にはそれ以外に縋れるものがなかった。


「大体、女が持っても扱えるもんじゃねぇんだよ」

今にも沖田にとびかかろうとしていたの動きが、土方の一言でぴたりと止まった。
まるでねじが切れたカラクリおもちゃのようだった。
不思議に思った沖田が声をかけようとした時、少女の口からドスの聞いた音が漏れた。

「女だからってなめてんじゃねーよ」

それと同時に、彼女の気配が膨れ上がった。
ビリビリと背筋に這い上がるこの感覚は、紛れもない殺気。
どうして、ただの少女がここまでの気迫を出せるのだ。三人は驚き、目を見開く。

「あたしと勝負しろ。使えないかどうか分からせてやる」

紡がれた言葉には、溢れんばかりの怒気が込められている。
土方を睨むその瞳には、憤怒の色で双眸がぎらついていた。
は堂々と土方に宣戦布告を叩き付けた。
それにいち早く立ち直った沖田が、今度は心底面白そうな笑みを浮かべ言葉を紡ぐ。

「おもしれェ、やってみなァ」





2015/04/11 再投稿
2011/01/20


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