4月、桜舞う中別れの後に訪れる麗らかな日差しが溢れる季節。期待と不安。惜別と出会いに誰もが心躍らす季節。
厳しい冬を乗り越え人間だけではなく、動物や植物までもが待ってましたと言わんばかりに活動を活発にさせる。
それは、ここ並盛中学校も例外ではなかった。



    第壱羽 飼われた禽



沢田綱吉焦っていた。

「うわ〜どうしよう。もうすぐ入学式なのに!」

彼は学区内の並盛中学に進学し、本日はその入学式だった。
彼ももちろん式に参加しなければならないのだが、トイレに行っている間に置いてけぼりをくらい、一人なれない校内を彷徨っていた。
不幸なことに今日は入学式ということもあって、新入生以外の在学生は休校となっているため周りに人影が全くない。
入学早々に幸先の悪いスタートを切ろうとしていた。

「ちょっとそこの君!」

振り返ると、上級生らしい女の子がこちらに早足で歩いてきていた。
同級生の平均身長より少し低めで、艶めく髪は黒々と瑞々しく襟足に届くか届かない位の長さ。
くりくりと大きい瞳は優しげで、顔が小さいせいか一際大きく見える。
どこか小動物を感じさせるような可愛らしい顔のつくりをしているがスカートからのぞく足はすらりと長く、体全体のバランスが非常によく、無駄な贅肉はどこにもなさそうだった。

きっちりと綱吉と同じ制服を着て、いかにも優等生という風体だった。
綱吉は初対面の人に対しての緊張と、不意に高鳴った心臓に返事をするのを忘れていた。
しかし、相手は全く気にした風もなくさらに質問を重ねる。

「新入生よね?こんなところで何してるの?もうすぐ式が始まっちゃうよ?」
「いや、それが迷っちゃって…」

初対面の人に対していきなり赤っ恥を晒すことと、これで式場の場所が聞けるという安堵で綱吉の心境は複雑だった。
それを聞いた彼女はにっこりと笑うと

「そうだったの。じゃぁ、案内してあげる。こっちよ」

といって、綱吉を先導し始めた。綱吉は彼女の後ろに続いた。

「ありがとうございます」

前を歩く少女は、何故かあちこちに目を走らせ誰かを探しているようだった。そして、綱吉を振り返ると

「ねぇ、これくらいの身長の君と同じ新入生を見なかった?」

と言って自分の鼻の高さまで右手を持っていった。どうやら彼女は他の新入生を探して、たまたま綱吉と遭遇したらしい。
自分と同じような境遇の人間がいたのかという下らない安心感が、彼をほっとさせた。

「いいえ、みてませんけど。」

綱吉の返答に、彼女は困ったような顔をして残念そうに頷いた。

「そう、ならいいんだけど…」

彼女はまた前を向いて歩きだした。ふと、綱吉の視界の端に、何か動くものを捉えた。

「ん?」

反射的にそちらを向くと、反対側の渡り廊下に人影があった。この時間に式場にいない人間はいないはずである。
ためしに目の前の上級生に声をかけてみた。

「その探してる新入生ってあの人なんじゃ…」

彼女は綱吉のさす方向を見て、その人物を視界に捉えた瞬間絶叫した。

「アトリーーーーー!!」

綱吉は突然の大声に強直した。一方彼女はアトリと呼んだ人影を追うため、一回の窓から華麗に飛び出した。
直線距離で追いかけるらしい。

「待ちなさい!!」

陸上部も脱帽の素晴らしい速さで、目的の人物へ直行する。
しかし、相手も負けておらず、巧みな動きで彼女の手から逃れようと必死になっている。
すると、二人は綱吉に向って全速力で走ってきた。追う側の彼女はどこからともなく何かを取り出し、追っている人へと投げつけた。
カカカッと音をたてて地面に突き刺さる。6本の内1本が綱吉の足元に突き刺さった。
ひぃっと情けない声を出して、綱吉はその場に尻もちをつく。
それは、手のひらサイズの小刀だった。

「あたしから逃げようなんて、100年早い!」

追っていた人物をその小刀で壁際に追いつめ、彼女は拳骨をその人へと振り下ろした。

「いってー!!何すんだよ!このゴリラ!!」

綱吉と同じ新入生は、殴られた頭を両手で抑え悪態をついた。
綱吉と同じかそれより少し小さい男の子で、活発そうな顔をしていた。
顔と鼻が小さく、くりくりと大きい眼はまるでドングリのようだった。
どことなくその少年の顔立ちは、目の前の少女と似ている。

「誰がゴリラだ」

彼の言葉にもう一度彼女は、拳骨をお見舞いした。
少年は今度は声も上げられないほど痛かったのか、その場に蹲った。
その首根っこを引っ掴み、彼女は少年を引きずりながら歩き出した。まるで容赦がない。

「じゃ、君も早く来なさい」

思い出したかのように振り返ると、綱吉にそう言った。

「はいぃぃ!」

一連の出来事を見ていた綱吉は、恐怖のあまり声が引き攣ってしまった。






 無事に入学式の会場に着いた3人は、クラス名簿を見て自分のクラスの列に並んだ。
さっき殴られていた少年は、偶然にも綱吉と同じクラスだった。
彼女は何かの係だったのか、二人を送り届けた後どこかに消えてしまった。

つまらない入学式自体は終わり、今度は諸注意や連絡事項のアナウンスへと移行されていた。
次は風紀委員会からですという司会の声の後、壇上に登った人物に体育館全体がざわめき立った。
そこに現れたのは、並盛中学校指定のブレザーを着た生徒ではなく、風紀と書かれた腕章をつけたガクランを着た男子生徒が悠々と壇上に上がったのであった。そして一言

「群れたら咬み殺す」

と言って、幕内へと引っ込んでしまった。
そのあまりの唐突な発言と、有無を言わせない威圧感に体育館全体が沈黙の静謐になってしまった。
言葉にできない緊張と危機感でその場の空気が凍りついた。

そして、彼の引っ込んだ幕内から、今度は女子生徒が現れた。
それは綱吉をここまで案内してくれたあの上級生だった。

「新入生の皆さん入学おめでとうございます。入学のしおりにも書かれているんですが、私加護から何点か学校生活を送るための諸注意をいいます。ちゃんと守ってくださいね」

さっきの人とは違い笑顔で普通に喋る彼女に、その場の張りつめた空気が溶かされていった。
綱吉は、名前を聞きそびれていた彼女の名前を聞けて、密かに少し嬉しくなった。
しかし、それも彼女の次の発言によって見事に打ち砕かれることとなる。

「まず一つ目は、風紀委員には絶対逆らわないこと」
「(えっ!?)」
「風紀委員はみんなガクランで腕章付けてるからすぐわかると思います。風紀委員から注意を受けたら速やかに改善してくださいね〜」

あくまでにこやかに、可愛らしささえ感じられる笑顔であるはずなのに、その蕾が綻ぶような唇から紡がれる言葉は何故か、どこかがずれていた。
じわりじわりと心の中に、ある種の不安が押し寄せてくる。

「次に、日頃から制服の乱れや不要な物の持ち込みも禁止です。制服をだらしなく着たり、学校に必要ないものを持ってこないように」

彼女は体育館全体を見回すように、端から端までゆっくりと視線を滑らせて行く。

「うちの学校は他の学校と違って厳しいので、注意してくださいね。ちなみに、抜き打ちの持ち物検査や服装チェックはしません」
「(厳しいのにないんだ)」

厳しいと言いながら、抜き打ちチェックをしないと公言するのは矛盾しているような気がしないでもない。

「毎日風紀委員がチェックしてるので、気を付けてくださいね」
「(毎日かよ!!)」
その場にいる新入生全員の心の声が、一つになった瞬間だった。

「もしも、守らなかったら――――」

もったいぶる様に彼女は一旦息を吸い込んだ。
綱吉は限りなく嫌な予感しかしなかった。
できる事ならその続きを聞きたくなかった。
しかし、無情にもマイクによって拡張された彼女の声は、空気を振動させしっかりと綱吉の耳まで届いた。

「もれなく病院送りになるので、注意してください。」
「(笑顔でこの人何言ってるのーーーーーーーー!!!!?)」

あくまでもにこやかに、彼女は話し続ける。
その笑顔には全くと言っていいほど邪気がなく、友好的な笑顔で有る筈なのにも関わらずうすら寒いものを感じる。

「あ、それと、そんなの聞いてられるか〜って思って、忠告を無視したり、反発しない方がいいですよ」

加護と名乗った少女は、明るい調子で破壊的な一言を紡いだ。

「潰すので」
「(容赦ねぇーーーーーー!!!)」

綱吉には冗談に聞こえなかった。
おそらく彼女自身も冗談なのではなく、本気で言ってるのだろうがどれだけの人間がそれを信じているか分からない。
それも仕方ないだろう、あまりにも言っていることがぶっ飛んでいるのだから。
おまけに彼女のどこにでもいそうな、一見すると保護欲を促すような容姿はそんなバイオレンスなこととは縁遠いものである。
しかし綱吉には、刃物を投げて一人の少年を追い詰める彼女の姿を目撃しているので他人事ではない。

「それでは、皆さん。楽しい中学校LIFEを送ってください!」

綱吉は、とんでもない所に入学してしまったと早々に思い知らされたのである。






 入学式も無事終わり、応接室に戻ってきたは雲雀恭弥から与えられた仕事をテキパキとこなしていた。
そんな彼女の耳に、廊下を猛スピードで駆ける音が届いていた。
普通の人間の聴覚であるならば、聞き取れることのできない音だったが訓練された彼女の耳はその音を捉えていた。
加えて彼女の知っているその足音に、誰がこの場に駆け込んでこようとしているのか想像がついていた。

「おい!あの演説なんだよ!?めちゃくちゃ恥ずかしいだろ!!」

ノックもなしに開かれた扉とともに、現れたのは予想道理自分の弟だった。
マナーも校則も無視したその行動に、いろいろ注意したかったがとりあえず今日は飲み込んでおくことにした。

「え〜?だって、ちゃんと言っとかないと、怪我するの新入生だし。恭弥よりマシだよ」

心外だと言わんばかりの姉の言葉に、アトリの機嫌はさらに悪化する。

「そういうことじゃないし」

もともとあんな男と比べても、何の意味も持たないとアトリは思っている。
あれは規格外なのだ。だからと言って、自分の姉がそうである必要などどこにもない。
どちらかとえば、あまり変な方向に進んでほしくないと思っている。
彼女自身は否定するが、アトリは自分の姉が天然なのを知っている。

「大体、あたし風紀委員じゃないから嫌々なんだよ?草壁君がどうしてもって言うから」

言いながらは、作業をする手を休めない。
姉から出てきた誰かの名前に聞き覚えがあり、アトリは記憶を手繰り寄せた。

「草壁?ああ、この前会った超老け顔の人?」

「草壁君ね。老け顔とか言わない。ちゃんと名前で呼びなさい。彼結構気にしてるから」

自分の弟の失礼極まりない言い草に、彼女はため息をついた。
雲雀程ではないにしろ、人とのコミュニケーション能力が低い弟に姉は頭が痛くなる思いだった。
草壁本人に聞かれていなかっただけ、まだ救いである。

「それより、まだ帰んないの?」

今日は入学式だけなので、在校生は休校なのである。
新入生も既に帰宅し始めている。だからアトリは姉がいるであろう応接室までやってきた。

「うん、まだやることあるから。恭弥、アトリはどうしようか?何かやってほしい仕事ある?」

姉の言葉にゲッと、アトリは顔を顰めた。
入学早々働かせられるのは嫌だし、この男と一緒にいるのは嫌だった。
余計なこと聞くなと、心中で悪態をつく。

「使えない人間はいらないよ」

雲雀はアトリに目もくれないで言い放った。
彼の敵意が込められた言葉に、アトリはムッと苛立ちを感じた。
雲雀はいつだってアトリの事を、弱い・使えない・役に立たないと言って見向きもしない。
別にアトリは雲雀に褒めてほしいとか、構ってほしいとか考えているわけではない。
誰だってあんな言われ方をすれば、腹が立って当然なのである。

「帰っていいって。入学式だったしね。ごめんね、お昼は冷蔵庫に入れてあるからそれ食べて。その代り晩御飯は頑張るから!」

顔を会わせれば必ず険悪な空気が、立ち込める二人を取り持つのがの役目だった。
今日も相変わらずな二人に、彼女はすかざず割って入った。
笑顔を自分の弟に向けて、朝出てくる前に用意した昼食の事を弟に言う。
本当なら一緒に帰って一緒に食事をしたいのだが、雲雀がそれを許さないだろう。
その譲歩手段として、今日の夕食は弟の好きなものをたくさん用意してあげようと思っていた。

「…からあげがいい」

彼女の言葉に、機嫌を損ねていたアトリは少しだけ気持ちを持ち直した。
それでもどうしようもない敗北感のおかげで、拗ねたように唇を尖らせた。
小学生を卒業したばかりの彼は、まだまだ子供なのである。

「ん、夜は入学祝いしようね。恭弥も来る?」

そんな弟の姿に苦笑しながら、話題を雲雀に振った。
食事は皆で食べたほうが楽しいし、おいしい。しかし、そう思っているのは、実はだけだったりする。

「祝う気ない人間なんか、誘う必要ないじゃん」

だからどうしてそこでそいつを誘うんだと、アトリは心の中で絶叫し邪魔者を排除するため敵意剥き出しで言葉を紡いだ。

「アトリ」

彼の言葉に、は嗜めるように名前を呼んだ。
鋭い視線を、自分の弟に向ける。アトリはフンとあらぬ方へと視線を逃がした。

「そうだね。君の入学を祝う気なんてないよ。今日は予定もある」

雲雀はアトリを全く相手にしていないのか、特に気にした様子もなく作業を続けていた。

「俺帰るから」
「気をつけてね〜」

アトリは思いっきり扉を閉めて立ち去った。
は、大きな音をたてて閉められた扉に呆れてため息をついた。
まだまだアトリは子供だなと改めて思う。
あっちを持てばこっちが立たず、こっちを持てばあっちが立たず。
まったくもって厄介だ。アトリには、逃げる事の出来ない定められた掟がある。
あの調子でどうするのかと不安にならないはずがない。
それを何とかするのが彼女の役目だが、そうとうに骨が折れそうである。

「ねぇ、彼は風紀委員に入れる気?」

暫く黙っていた雲雀が、作業の手を止めて休憩がてら彼女に問いかけた。
雲雀が彼『は』と言ったのは、雲雀の目の前にいるは風紀委員に所属していないためであった。
雲雀としては、常時威嚇体制の役立たずが風紀委員に入るのは願い下げである。
それに、仕事面では、彼女の姉で十分間に合っているのである。

「アトリも入らないよ。入る必要ないしね。あたしたちはあくまで雲雀家に仕える一族だからね。恭弥から仕事を頼まれてるからやるけど、風紀委員としてあたしたちが動くことはないよ。ちょっとずつあたしのしてる仕事をアトリに引き継がせないとね〜」

作業を続けていた彼女の言った言葉に、雲雀は眉根を寄せた。

「前々から思ってたけど、使えない彼は嫌だよ。何より弱い」

使えない人間は、お荷物になるし用がない。
何より雲雀にとって弱い人間は、それ以上に興味がないし自分の周りをうろちょろされては目障りである。
使えないし、弱いとなればもう救いようがなかった。

「それを何とかするのが、あたしの役目。家督を継ぐのはあたしじゃなくてアトリなんだから仕方ないの」

聞き分けのない子供に、言い聞かせるような調子でそう言った。

「君ほどの腕の人間が、家督を継げないのは疑問だな」

彼と彼女らの付き合いは長い。
幼馴染と呼ばれる部類のものであり、良くも悪くも切る事の出来ない縁だった。
自分たちの親よりもお互いをよく知り、自分たちの親と過ごす時間よりも長い時間をお互いに共有してきた。
だが、お互いの家庭の事情には、一切口を挿めない。
だから雲雀は、彼女たちが囚われている決まり事をよく知らない。

「…そうゆう掟だからね」

雲雀の言いたいことは、は分かっている。だが、彼女の一族に定められた掟は、絶対だった。
それが覆ることは、絶対にないのである。

「君がそこまで因習に囚われるのは、あの子のためかい?」

雲雀は元来そんな大昔に決められた掟を、重んじる人間ではない。
だからこそ納得がいかない。彼女は決して弱くはない。
その気になれば、そんなものどうにかできそうなのに彼女はそれをしようとしない。
考えられる回答は、たった一つしかない。
雲雀にとってそれがあまりにも簡単で、馬鹿馬鹿しいものだった。

「…あたしの存在定義はアトリだからね。引いては雲雀家の、恭弥のためだよ」

は当然のことのように、そう言った。
そのお決まりのフレーズに、雲雀は嫌気がさした。
掟、掟、掟、アトリ、アトリ、アトリ。彼女の頭の中にはそれしかない。
掟とアトリに縛られる
何かに、誰かに縛られるのが許せない雲雀にとってそれは絶対に考えられない答えだった。
どういった掟なのか、雲雀は詳しく知らない。それでも分かる。
彼女はあの弱くて使えない弟ばかり気にかける。
それが気に食わない。

あの時だって、アトリのために彼女は感情を爆発させた。
いつだって彼女の頭の中は、脆弱で薄弱な弟のことばかりだ。
その事実が、雲雀を苛立たせる。

「ふうん。君は、つまらない人間だね」


雲雀は自分の胸のうちの苛立ちを、表面上に出すことはなくまるで興味がないといった風に言葉を紡いだ。






2015/03/31 再投稿
2011/02/25