どうしたってこんなことになってしまったのだろうかと、は心から不思議に思う。
今渡っている作られて随分経つのだろうつり橋は、今にも落ちてしまいそうなほど揺れる。
標高が高く、この季節でも大分寒く感じてしまう。普通に生活を送っていれば、こんな山奥になど足を踏み入れることはないだろう。
そもそもの発端は、今目の前に居る男の所為だった。
数日前に出会ったこの男。マフィアのボス、ディーノ。彼がまたしても何の前触れもなくの前に現れた。
自分の弟の友人を2人も連れて。
そして、突拍子もなくこれから山に親睦会をするからこいと言いだしたのだ。
勿論彼女は拒否したが、彼の口からの弟の名前が出れば、嫌でも行くかざるおえなかった。
そして、数時間かけて車に揺られついたのがこの鬱蒼とした山奥だった。
都会育ちの彼女には、まだまだ日本にもこんな大自然が残っているなんて思いもしなかった。
人を寄せ付けないような険しさと、全てを拒絶するような閉鎖感がある。そんな場所に、自分を含めて4人の人間が、暢気に歩いているのだから緊張感も何もない。
しんがりを務める彼女は、話に混ざらず3人の会話に耳を傾ける。どうやらイライラしているのは自分だけではないようだった。
「何言ってやがる!!ヘナチョコヤローが!それより10代目はどこだ!本当にいるんだろうな!」
先頭を歩くディーノに続く獄寺は、イライラとしながらディーノに詰問した。
自分の弟を心酔している彼は、ディーノの事があまり好きではないらしい。
「心配すんな。リボーンと先に来てる。この時間だ。多分飯でも…」
一方、慣れているのか気にしていないのか、剣のある言葉にディーノは平然と答えた。
先頭を歩いている彼の歩みが不意に止まる。
「ん!」「あ!」「い!」
同じく山本と獄寺も足をとめた。三人によって見えない前方を不思議に思いは覗き込んだ。そして、その光景に悲鳴を上げることになる。
「助けてー!!!」
「キャー!つっくーん!!!」
「10代目ー!!!」
なんと、滝の大岩に括りつけられ、身動きが取れない状況で自分の弟が修行僧の如く滝に打たれているではないか。
激しく打ち付ける大量の水の所為で、息さえしにくそうである。
と獄寺は急いで綱吉を救出した。可哀想に滝に打たれたせいで体温がだいぶん下がってしまっている。彼はガタガタと震えながら水から上がった。
幸いにも着替えは用意していたらしく、リュックの中からハンドタオルを差し出してやった。
綱吉はきまり悪そうな苦笑いをしながらそれを受け取る。
「なんてことするのよ!」
「何してんだリボーン!!今日はトレーニングじゃねーぞ!」
ディーノは自分の師の奇行に非難の言葉を浴びせかけた。しかし、彼は意にも返さず
「山こもって話し合いなんてくそつまんねーからな。オレは遊ぶことにしたんだ」
と飄々と言ってのけた。
「人を使って遊ぶなー!!!」
それに過剰に反応したのは玩具にされていた綱吉だった。それを受けたリボーンは珍しく素直に頷くと、ディーノの肩に飛び乗った。
「それもそーだな」
それには不審を抱いた。普段の彼がこんなに素直なわけがない。
性格がひんまがった赤ん坊なのだ。こんなことで納得するはずがない。
「じゃぁエンツィオで遊ぶぞ。」
案の定、不敵な笑みを浮かべた赤ん坊は、いったいいつの間に掏ったのだろうか、ディーノのペットのスポンジすっぽんを持っていた。
「あ!いつの間に!」
「ポーイ」
そして、事もあろうに川に投げ込んだのである。
「コラッ!」
投げ込まれたすっぽんは、大量の水を急速に吸収し見る間に巨大な怪獣へと巨大化していった。
その大きさは川に収まりきらず、ビルの7階建はありそうなほどの高さである。
地面に足をつければ地震の様に地響きな鳴り響く。まるで怪獣映画に出てくる怪獣そのものである。
この間の風呂事件とは比べ物にならないほどの大きさだ。人間が相手をできるレベルを遥かに超えていた。
「山の主だ!!静まりたまえ!!」
オカルト大好き獄寺は、何を勘違いしたのか訳の分からないことを口走っている。
「あのでかさじゃ手がつけられねー。橋の向こうに走るぞ。」
ディーノの指示で、全員が一斉に走り出した。先ほど渡ったつり橋は、すぐに見えてきた。先頭を走っていたは振り返り、中学生の彼らを先に渡らそうと考えた。
「3人とも早く!!」
「お姉様早く!」
「俺たちの事は気にしなくていいっスから!」
「子供が何言ってるの!早く行きなさい!」
彼女は無理やり3人を先に行かせた。その瞬間、背中を物凄い勢いで押され、されるがままに彼女は足を動かすしかなかった。
「何やってるんだ!追いつかれるぞ!」
「分かってるわよ!」
彼女を押しているのはディーノのだった。まるで抱えるように背中を押し、彼女を急き立てる。
その速さに足が縺れそうになる。
しかしその勢いも突然無くなってしまった。さっきまで自分を包みこんでいた温もりが、残滓を残して離れていく。
反射的に振り向くと、ディーノのは愛用している鞭を取り出し、こちらに背を向けて立ち止まっていた。
「何を!?」
「ここは俺が時間稼ぎをする。お前たちは先に行け!!」
なんと無茶な。無謀にもほどがある。あんなものまともに人間が相手などできるはずもない。
「待て!お前のヘナチョコムチじゃ無理だ!!」
勇んで叫ぶディーノだったが、すかさず獄寺がディーノを止める。
しかし、言われたディーノはいったいなぜそんなことを言われるかわかっていないという表情だった。
ゴリ押しの様に彼は鞭を振るう。
「つべこべ言わずにオレに任せとけ!!」
そういった彼は、力一杯に鞭を振るう。
本来彼のペットであるすっぽんに当たらなければならないのに、届くどころかつり橋のロープを切断してしまった。
全員言葉が出ないほど真っ青になる。起死回生の一手どころか、ますます自分たちを追いこんでしまった。
そして、ロープが切れたせいで重力に従い足元がぐらりと不安定になる。全員為すすべもなく谷底へとまっさかさまに落下していった。
「いたたたた」
奇跡的な事に、谷へ落ちたにもかかわらずは生きていた。
「大丈夫ですか10代目!!」
「木の枝がクッションになったみたいだな」
どうやら周りも同じらしく、ぴんぴんしていた。不幸中の幸いとはまさにこのことである。
「すまん。手が滑った」
ディーノは殊勝に全員に謝った。当然、自分でもまさかこんな事態になるとは思ってもみなかっただろう。
兎に角、無事だったのだし終わってしまったことをこれ以上とやかく言っても仕方ない。
そう思いつつ、は地面から立ち上がろうとした。しかし、不意に襲った激痛に立つことは叶わなかった。
咄嗟に近くの木にしがみつき、激痛を何とかやり過ごしながらゆっくりと、地面からはみ出している木の根に腰掛けた。ちらりと彼らを見やる。
どうやら言い争いに夢中で、の異変には誰も気付いてないらしい。
好都合だと思いつつ、先ほど激痛の襲った左足を見た。
興奮していたせいか立ち上がるまで気が付かなかったが、左の足首がパンパンに張れていた。
不味いな、とは思う。
この腫れは少し大きい。動かすと痛いが、動かせないことはない。
骨は折れていないだろうが、重度の捻挫だろう。こんなときに自分は何をやってるのか。
とりあえず、手ではなくてよかった。手を捻挫していたら、それこそ取り返しがつかなくなっていただろう。
「姉さん?聞いてる?」
「ん?」
咄嗟に綱吉に声をかけられ、さっと左足を右足の後ろに隠した。
「ごめん、話聞いてなかった。なんだっけ?」
「…携帯繋がる?」
一瞬不審そうに眉をひそめたが、綱吉は本来の目的の質問を口にした。
綱吉はたまにとんでもなく察しがいい時があるので、は知らず知らずのうちにほっと安堵のため息が漏れた。
こんなことで心配をかけたくはない。優しい子だから、きっと自分の事の様に痛い顔をするに決まっている。
そんな顔をさせてはいけないのだ。
「ちょっと待って…駄目、圏外」
どこの方向へ向けても、圏外と表示されたディスプレイは変化しない。全員の表情に落胆の色が見えた。
も苦笑しながら携帯電話をポケットにしまう。これで、救援の希望は絶たれてしまった。
そうなると、自力でこの山を歩いて下山するか、誰かが助けに来るまでここに留まるかのどちらかだ。
どちらにしても不味いとは思う。
さっきから捻った足がジンジンと痛むのだ。熱を持ち出したらしくまるで脈打つ心臓が足首に移動したような錯覚に陥る。ちょっと気を許せば、痛みに顔が歪んでしまいそうだ。
「どうしたんだ?顔色がどんどん悪くなっちまってるぞ」
はその質問にぎくりとした。いくら虚勢を張ろうが、顔の色まで保つことなんて無理だ。
なんだか訝しげに近付きこちらを覗き込んでくる。
「別に」
はさっと視線を逸らした。子供たちに余計な心配はさせたくない。
唯でさえ絶望的なこの状況で、負担を増やしたくない。彼らを守るのは大人である自分の役目なのだから。
彼女は怪我が彼の眼に触れないように、さっと左足を引いた。しかし、逆にそれが裏目に出てしまった。
「おい、お前…」
彼は何時かの日の様に、さっと彼女の前に跪くと彼女の左足を手に取った。
「痛っ!ちょっと何触って―」
「なんで黙ってたんだ!こんなに腫れてるじゃねーか!!」
は彼の剣幕に驚き黙り込んでしまった。普段温厚で紳士を気取っている彼が、自分に怒鳴るとは思いもよらなかった。
まるで苦いものを噛み潰した様にその美貌を歪めている彼からは、酷く苛立たしげな雰囲気が感じ取れた。
「うわすげぇ腫れてる!」
「ね、姉さん大丈夫!?」
こちらの異変に気付いた3人が、覗き込んでくる。案の定3人とも気遣わしげに自分を覗き込んできた。
その顔がとても痛々しい。こんな顔させたくなかったのに、どうしてうまくいかないのかと彼女は悔やまれてならない。
「靴脱がすぜ」
ディーノは溜息をつくと、彼女の靴を手早く優しく脱がした。出来るだけ患部に影響の無いようにしているようだったが、はそれでも痛みに耐えた。
ぐっと奥歯を噛み締めて痛みをやり過ごす。靴と靴下を脱がされると、患部が晒される。
大きく腫れ上がり、赤紫色に変色していた。皆一様に苦い顔つきになってしまった。
彼女はその重苦しい空気を紛らわすために急いで言葉を紡ぐ。
「平気だよ。心配しなくても大丈夫。ちょっと捻っただけだし。痛いけど、動かせるから骨折もしてないみたい。見た目ほど痛くないから!」
しかし、どんな言葉を紡ごうと、彼らの空気にあまり変化は見られない。
「それに、手じゃなくてよかった」
それは、独り言だった。手がこんなに腫れあがってしまっていたら、きっと平常心なんかではいられなかっただろう。
この両手は自分の命だと言っても間違いではないほど大切なのである。
「あ、そっか。もうすぐ…」
「うん、もうすぐ」
の独り言に心当たりがあった綱吉はぽつりと零した。それには意味ありげににっこりと笑った。
「不味いな」
とディーノは難しい顔をしながら呟いた。
「酷い量の内出血を起こしてやがる。すぐに血を抜いてやらねーと後々面倒だぞ」
いつ下山して病院に行けるかもわからない状況で、応急処置が後の治療に大きく影響を及ぼす。
しかし、ここには消毒液も麻酔も注射器も何もない山の奥地である。こんなところでどうしろというのだ。
「いいか、。これからオレが血を抜く」
そういうと彼はポケットから折り畳み式のサバイバルナイフを取り出した。
きれいに磨かれた刃が陽の光を浴びてきらりと光を反射する。彼女は彼が今から何をしようとしているのかは、言わずとも察する。
「麻酔も何もねぇ。痛ぇが、我慢してくれよ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!そんなことして失敗したら!」
真っ先に声を上げたのはではなく綱吉だった。
ディーノを信頼してるとは言っても、彼の部下は今ここにはいないし何よりも彼は医者ではない。
だがそれは、ディーノも十分わかっているはずだった。
「いつ下山して病院に行けるか分からねえ。このまま血が固まっちまったらそれこそ面倒だ。血さえ抜けば唯の捻挫だ。良いな?」
確かに、彼の言うとおりだ。この激痛は捻挫した部分を血が溜まって圧迫しているせいもあるだろう。
このまま放置すれば悪化するどころか、他の症状も引き起こす可能性がある。
何より既に捻挫の痛みで感覚が分からなくなっている。恐らくやるなら今しかないだろう。
少しでもいいからこの痛みを和らげてほしい。怖くないわけではないが、今決断するしかないのだ。
はしっかりと頷いた。
ディーノはが頷くのを見ると、彼は彼女の両手をとり自分の両肩に置いた。そして、自分がしていたベルトをはずすとすぐわきに置いた。
「すぐに終わる。頼むから舌だけは噛まないでくれよ」
言いながらどこに刃をあてるか触診で慎重に定めていく。
「ま、心配すんなって!傷が残っちまったらオレが責任とるから!」
「そ、そういう問題じゃないですよっ」
こいつならやりかねない。一瞬本気でそう思ってしまった自分に、ふっと笑いが零れてしまった。
こんな時に、自分は何を笑っているのだろうかと存外冷静な事に少なからず驚く。
緊張が解れたのは、目の前の彼のおかげだというのが少しばかり憎らしい。
「やるぞ」
彼女は眼を強くつぶった。緊張のため、肩に置いている手に力がこもってしまう。
ディーノが自分の足首を一層強く掴み直したのが分かった。
そして、当てられた冷たく固いそれが皮と肉を割いて中に入ってくるのが分かった。
その異質さに更に体が強張る。得体のしれない未知の感触が体内を穢す。
感覚がおかしくなっているのだろうか、痛みが後から背筋を這いあがる様にしてやってきた。
彼女の全身に汗が噴き出す。
「う」
痛みの所為で声が口から濁流のように流れ出しそうになる。
けれど、彼女は代わりに掴んでいる手を思いっきり握った。
ナイフがすっと引かれディーノの手が何度か傷口あたりを撫でた後、さっきのベルトが足に巻きつけられたのが分かった。足首の固定と止血の意味もあるのだろう。
「よし、終わりだ」
その言葉に、はゆっくりと目をあける。
開かれた視界に飛び込んできたのは、彼のにかっと効果音でもしそうなほどの眩しい笑顔だった。
その緊張感のない笑顔に、全身の力が自然と抜ける。足元をみると、しっかりと固定された足と、その下には黒い水溜りができていた。
ディーノにもその緊張が伝わったのだろうか、まるで安心させるようにポンポンと頭を撫でられた。
普段であればその手をたたき落としているところだが、不思議と今は嫌ではなかった。
「ありがとう…」
怪我の所為でその言葉を紡ぐのに、酷く疲れてしまった。
実際に血を抜いたせいだろうか、それともの緊張の所為で精神的に血が引いてしまったのだろうか、頭がくらくらとする。
気だるさにぼんやりする思考の中で、彼が嬉しそうに笑った事が彼女を落ち着かせた。
2015/03/27 再投稿
2011/06/29