狭い室内で、十数人が乱闘を繰り広げていた。木刀などの長い獲物を持っているため余計に狭く感じる。
男たちが殴り合っている中、唯一の女性であるは回りの男たちに負けない立ち回りを見せる。
しなやかな足が、鞭のようにしなり伸びやかに自身の敵を薙ぎ倒していく。可憐な容姿に似合わず、その威力は絶大である。
跳ねる様なその動きは、巧みに相手を翻弄し迎撃していく。
ディーノはその姿に目を奪われる。一見するとリズムに合わせてバレリーナのようにステップを踏んでいるようである。
ここは乱闘が繰り広げられているヤクザの本拠地ではなく、ボローニャ歌劇場で全身にスポットライトを欲しいままに浴び、たった一人舞い踊るコッペリアのようだ。
いや、コッペリアにしては少々悪戯が過ぎるだろうか。だったら今の彼女は、恋人のためにコッペリアに扮したスワニルダといったところか。
喜劇コッペリアはハッピーエンドで終わっているが、現実ではそうとは言い難い。いくら彼女が華麗に舞おうと、女性を荒事に巻き込む事はディーノの性分が許さなかった。
陽気に舞うバレリーナを、一刻も早く壇上から下ろすべくディーノは腕を伸ばした。
は華麗な蹴りで男を昏倒させると、新たな男を蹴り倒すために片足を上げた瞬間、後ろから強い力で腕を引っ張られバランスを崩す。
こけると思った瞬間、背後にいた誰かによって受け止められた。
「あんまり無茶すんなよ」
ディーノは苦笑しながらを自分の背後に追いやる。
「ちょっと!」
まるで自分を守るかのように背を向けた男に、は非難の声を上げた。
「これ以上はいただけねーな」
ディーノは顔だけ振り向きながら、キザったらしくに微笑みかけた。
「うるさい!」
彼女はその態度が酷く気に入らなかった。彼女は成り行きでディーノと共闘を組んでいるが、あくまで成り行きだ。彼に守ってもらう筋合いなど無いし、弱くも無い。
今まで彼女は喧嘩や競技会で負けた事がなく、それは実績とともに彼女の自信となっていた。
何よりは彼の今回の行動を許してはいないのである。紳士的なディーノの行動は、逆に彼女を苛立たせるだけだった。
ついでにこの男も黙らせようと、はディーノの鳩尾に容赦の無い蹴りをお見舞いする。
「!!」
確実に決まるはずだった蹴りは、ディーノの腕によって受け止められていた。は驚愕した。今まで避けられた事はなく、なんとかガードしてもそれごと蹴り飛ばすほどの脚力が彼女にはあった。
しかし目の前のディーノは、少し体をずらし直線で打ち込まれた蹴りを回避すると、二撃目が繰り出せないように彼女の足を捕まえているのである。
「ほんと、筋金入りのじゃじゃ馬だな」
ディーノは反撃をするでもなく、彼女の足を掴んだまま呆れた様に苦笑した。は信じられない現実に、呆然とするしかなかった。
今まで目の前の人間は、彼女の足蹴にされるための土台でしかないと言われるほど他者と彼女の間には歴然たる実力の差があった。
それが目の前の優男はなんとも無いような顔をして、軽くあしらったのである。ディーノという男の前では、彼女の自信はただの慢心でしかなかった。この現実に彼女の自信が粉々に打ち砕かれ、ディーノという男に少しの恐怖心が芽生えた。
完全に動きが止まってしまったの隙を突くべく、の背後から男が木刀で殴りかかってきた。
ディーノに足を掴まれているは逃げる事も、迎撃する事もできない。彼女は反射的に目を瞑ってしまった。
ディーノはの足を素早く離し、自分の胸に引き寄せると左手でその木刀を受け止めた。木刀を振り下ろした男は、驚愕に顔が引き攣る。
「女に手を上げるなんて、男のすることじゃねーぜ」
言うが早いか、ディーノはその男を殴りつけ昏倒させる。少し怒りを滲ませたドスの聞いた声に、はディーノの腕の中で身を竦めた。
それに気付いたディーノは、を覗き込むと安心させるように微笑みさっきと同じ人間が出した声だとは思えないほど優しく語りかけた。
「内輪揉めしてる場合じゃねーだろ?ちょっといい子にしてろよ」
ディーノはお茶目に片目を瞑って見せた。そして、少し下がるように優しくその背を押したのだった。
桃巨会を壊滅させた綱吉たちは、綱吉の部屋で一息ついていた。は自室に引っ込んでいる。
「いやー感心感心。これならお前たちにツナを任せられるな」
ディーノは酷く満足そうな笑みを浮かべた。
「いや、その、任せるとか…」
「にしてもさぁ、ツナの姉貴凄かったな」
「確かに!あの華麗な足技は感動しました!」
山本と獄寺の言葉に、綱吉は若干遠い目をした。
「あ、うん。姉さん昔から空手習ってて、大会でも負けた事ないんだ。高校のときなんてインターハイ三年連続優勝したし…」
「へ〜あんまり想像できねーな」
の普段の温和な性格を知っている山本たちは、おそらく想像もしていなかった事実だろう。
「うん、まぁ。俺、昔っからイジメられてて、イジメっ子から俺を守るって習いだしたんだけど…今じゃ強くなりすぎて『自分より弱い男と付き合う気は無い』って、告白してくる人たちを悉くフってるんだよな…」
綱吉は今までそんな状況を3回は見ている。弟としては変な男に引っかからなくて安心だが、そのままズルズルと結婚できないのではと違う意味で心配だ。
「ははは、ツナとは正反対だ。フられた男は悲惨だな。折角可愛い顔してんのに、勿体ねー」
「ディーノさんの言うとおりだな。あんなに優しくて良い人なのに!」
「十代目のお姉さまがどこの馬の骨とも知れねー奴と釣り合う筈ねーだろーが」
山本もディーノの言葉に賛同した。ディーノは懐かしむような顔で
「俺と会ったときも、スゲー親切に道案内してくれたんだ。あ…」
ディーノは何かを思い出したのか、青い顔をした。
「どうしたんですか?ディーノさん?」
それを不思議そうに3人は見つめ、代表して綱吉が問いかけた。ディーノは昨日の傷がまだ癒えていないのか、目に見えそうなほど暗い空気を両肩に背負っていた。
「実は道案内をしてくれた礼に、と食事の約束をしてたんだ…」
「ああ、姉さん頑固だからな〜」
何が言いたいのか分かった綱吉は、曖昧に苦笑した。あの姉の様子だと、絶対に返事はNOで返ってくるだろう。
「頼むツナ!協力してくれ!!」
ディーノは日本人のように顔の前で両手を合わせると、綱吉に頭を下げた。
綱吉は少し戸惑いつつ、首を縦に振るのだった。
は今まで生きてきた人生の中で、受けたことの無いような屈辱と敗北感に苛まれていた。
一度も負けた事なんてなかった。努力に努力を重ね、絶対に他者には追いつけない実力をつけた。
それが彼女の自信であり、綱吉からの絶対の信頼でもあった。
だがあの男によって悉く砕け散ったのである。自惚れ、慢心、おごり、の自信はディーノの前では、中身の無いプライドだった。
彼女の体に気を使った攻撃のいなし方は、余裕に満ち溢れていた。ディーノの態度は逆に、が井の中の蛙であった事を明確にしたようだった。
本気の一撃だった。手加減など一切考えず、繰り出した一撃が簡単に受け止められてしまった。それは、とディーノの歴然たる実力の差を見せ付けるには十分だった。
ディーノにしてみれば1つのファミリーのトップである自分が、日本で安穏と平和に暮らしてきた女に負ける事などあってはならない。
そんな事を知る由もない彼女にとっては、悔しくて悔しくてたまらなかった。
明確な敗北を与えられただけではない。彼女はディーノに庇われ、傷一つ負うことなく家に帰ってこれたのである。はあの時の情景を思い出す。
放心していたは、木刀で殴られそうになった時、咄嗟に目を瞑ってしまった。
それが当たり前の反応だが、彼女は自分の愚かさが許せなかった。それはいかにも女の子らしい反応である。
よりにもよって、あの男の目の前で。なんという屈辱だろうか。
『内輪揉めしてる場合じゃねーだろ?ちょっといい子にしてろよ』
ぼっと、彼女は顔に火がついたように真っ赤になった。は顔に集まった熱に、わなわなと震える。なんという屈辱だろうか。
自分が一番嫌いな人種に負けただけではなく、不覚にもときめいてしまったのだから。
はベッドの上でバタバタと手足を振り回した。ボスっボスっと情けない音が出る。
そんな事をしたところで、彼女の気は一向に紛れない。
自分を落ち着かせるためにかけたクラシックも、今の頭に血が上った彼女の耳には届かない。
彼女の耳に残るのは、至近距離で囁かれた低く甘いテノールの囁きだった。
ムカつく
その言葉が彼女の頭で何度もループし続ける。ディーノの麗しい容姿では、女慣れしていて当然なのだ。
ムカつく
そんな相手に自分は一瞬でも、不覚にもときめいてしまったと言う事実が何より腹立たしい。
がクッションを抱き込んだとき、コンコンと遠慮がちにドアがノックされる音がした。
「姉さん、ちょっと良い?」
はクッションを抱いたまま慌ててベッドに座りなおし、どうぞと入室の許可を出した。綱吉に続いてディーノが入ってきたのを見ると、きっと睨み付けた。
「ディーノさんが話があるって」
綱吉は続きをディーノに促す。
「あ、!その…昨日の約束なんだけどさ…」
彼は言葉を選びつつ、出来るだけを刺激しないように勤めた。
反対にの視線は綱吉達に向けるよりも冷ややかで、キツイ。
なのに、クッションを抱えている姿はどこと無く実年齢より幼く見えて可愛らしい。
まるで親に叱られて不貞腐れているようである。
「…勿論、食事の約束の話なら覚えているわ」
はボソリと不承不承に呟く。彼女の言葉に、ディーノは希望が芽生えた。
「!!じゃぁ!」
しかしそれもの容赦ない言葉によってによって粉砕される。
「行くわけないでしょ。私は、マフィアなんて違法組織、大嫌いなのよ」
は無意識に腕にチカラをこめた。履き捨てるように紡がれた言葉に、怒らない人間がいるだろうか。
今までのディーノに対しての態度も、彼を怒らせて当然だと自覚している。
だからは、飛んでくるであろう罵声に身構えた。
「姉さん、いくらなんでも言いすぎじゃ…」
綱吉はあまりの姉の言い草に、遠慮がちに咎めた。
確かに、自分もマフィアは嫌いだし、関わり合いになりたくない。
しかし、ディーノの人柄は尊敬に値するし、綱吉はディーノという人間がマフィアかそうでないかに関わらず好きだった。
「そんなにマフィアが嫌いか?」
ディーノは頑なに自分を、マフィアと言う集団を否定し続けるに問いかけた。
今の彼女は、在りし日の自分に良く似ていた。
「当たり前でしょ」
は何の迷いも無く言葉を紡ぐ。それが予め決められた答えだと言う風に。
彼女の予想通りの言葉に、ディーノはフっと笑った。
「俺もそう思ってた」
「は?」
ディーノの言葉に、は理解が出来ず頭に疑問符を浮かべる。
だったらどうしてこの男は自分たちの前に、マフィアのボスとして立っているのだろうか。
馬鹿にされただろうか思い、は眉間に皺を刻む。
「俺も最初はマフィアのボスなんてクソくらえと思ったもんだ…」
どこか懐かしむように紡がれた言葉に、も綱吉も困惑する。
「じゃぁ、どうしてボスになろうと思ったんですか?」
の疑問を、綱吉は言葉に出した。
「ファミリーが大切だからさ」
ディーノは間髪いれずに答えた。
先程よりも硬質な響きを持った声は、りんごが重力に逆らう事ができず落ちるようにと綱吉の心にすとんと落ちる。
「俺が守れるなら守りたいと思った。だから俺は、キャバッローネを継ぐ事を決めたんだ。お前が、ツナ達を守りたいと思ってるのと同じさ」
優しいだけではなく、厳しいわけでもなく何かの決意を宿した瞳に射抜かれは、彼の空気に呑まれてしまいそうになる。
そこに、ディーノという男の本質のようなものを見たような気がした。
初めて出合った時に感じた彼の誠実でどこか子供っぽさが抜けない目の前の青年が、自分と同類だと感じたのは自分と似たような誓いを持っていたからではないのだろうか。
それでも彼女の心とは裏腹に紡がれる言葉は、城壁のように高く強固な矜持だった。
「…そんな、そんなもっともらしい理由をつけたところで、あなたたちマフィアが法律からも人道からも外れた集団に変わりなんて無いわ」
「そうだな、そういう奴らもいる。は何か勘違いしてるみたいだから言っとくけど、俺たちは絶対に違法薬物の売買や人身売買はしてねーぜ。天の父に誓ってな。俺の守りたいものの中には、街の住人の安全も入ってる」
「ディーノさん…」
ディーノの紡ぐ決意が、何よりも誇りに満ち溢れているのを感じ綱吉は尊敬の眼差しを注ぐ。
「お前は、俺の事が嫌いか?」
「私は…」
その続きが出てこなかった。彼は今問いたいのは、マフィアとしてのディーのではなく、一人の人間としてのディーノをどう思っているかだった。
その事を理解しているは、昨日からの事を思い出す。
もし、ディーノがマフィアではなかったら?
ディーノがマフィアと言う事を知らなかったら?
自分は浮かれて彼に逢いに並盛駅に行ったのではないだろうか?
彼と話がしてみたかったのではなかったか?
彼がマフィアではなかったら、自分は彼と良好な友好を築けていた筈だった。
それでも、ディーノがマフィアである事は変えられない事実だった。そして彼の存在は、自分の守りたいものを脅かす。だから、彼女はこう答えるしかなかった。
「私は綱吉を危険な事に巻き込む全てが大嫌いよ」
決意を、覚悟を宿した瞳に、ディーノは少し安堵した。彼女は彼の問いに、彼自身を否定する言葉を紡がなかった。
きっと彼女は誰よりも優しく、そのために強くなれる人間なのだろう。
その心根は真っ直ぐで美しく、信頼に足る人物だとディーノは思う。
しかしそれ故に、何でもかんでも一人で背負い込み今日のように無茶をしかねない。
彼女自身も気付かない内に沢山の守りたいものを抱えるタイプなのだろう。
「そっか。俺はの事好きなんだけどな」
ディーノは素直に感想を述べた。
「んなーー!?」
ディーノのまさかの告白を勘違いした思春期真っ只中の綱吉は、一人奇声を上げて頬を赤らめる。
ディーノはそんな綱吉にお構いなく、上着の胸ポケットに手を突っ込みながらに近づいた。
は少し身構える。映画などのセオリーに則ると、そこから出されるのは拳銃だ。
対してディーノはの前で膝まづき、視線をあわせる。その仕草がいちいち様になっている。まるで王に跪く騎士である。
「お前とは、良い友達になれると本気で思ってる」
ニカっとディーノは少年のように笑うと、胸ポケットから二つ折りにした白い紙を差し出した。
「何それ?」
受け取ろうとしないの手を取り、ディーノは彼女にそれを握らせる。そして、何てこと無いように
「俺のプライベートアドレスだ」
と言った。
「は?い、いらないわよそんなもの!!」
話の流れについていけないは、頭に疑問符を浮かべる。彼が差し出した紙を突き返す。
「何かあったら連絡くれ。イタリアの話でも何でも聞かせてやるぜ。ま、またちょくちょく遊びに来るけどな!それまであんまり無茶なことするんじゃねーぜ。じゃぁな」
良いながらクッションを抱えるの頭をひと撫ですると、彼は立ち上がり部屋を出て行く。
「ちょっと!!」
彼女の声は、室内に霧散した。
散々酷い事を言ったのに、彼はどうして自分に怒りを表さないのだろうか。それどころか大らかで、友好的である。
どうしてあんなにも、こんな自分を受け入れようとしてくれるのだろうか。
「なんなのよ、あいつ」
渡された紙は、の手の中でクシャリと潰れてしまった。
2015/03/25 再投稿
2011/03/15