結局食事に連れて行かれ、彼女らはの家の前まで来ていた。
明日の朝は早いので、沢田家に帰らず本来の彼女の家から直接大学に行くためである。
毎週木曜日は、自宅で1人過ごすのが、彼女の習慣である。

 部下が運転する車から出たディーノは、側のドアを開けた。
手を差し伸べたが、はその手を取らず車から降りた。
その様子を見ていた綱吉はオロオロと様子を伺い、運転席に座るディーノの部下が噴き出すのが分かった。
ディーノは差し伸べた手を所在なさげにポケットに突っ込んだ。

は明かりの灯らない家を見上げた。もう、何度も何度も見上げたその家は、今も昔も少しも変わらない。
温かさの灯らない家は、のたった1人のおもちゃ箱だ。

「ねぇ、まだ時間はあるんでしょ」

言った瞬間、はびっくりして目を見開いた。
無意識に出た言葉は、自分でもびっくりするほどすんなりと音となって空気を伝達していく。
は、彼らに背を向けていてよかったと心から思った。
今、自分は相当間抜けた顔をしているに違いない。

「あ?あぁ、そうだな」

ディーノの言葉に、は少し安堵した。ここで断られたら、かっこの付けようがない。
一度紡いでしまった音は、なかった事には出来ない。

「お茶くらいならだすわよ」
「いや、でも」

ディーノは、珍しく躊躇う素振りを見せた。夜に大勢で女性の家へ押し掛ける事に、躊躇いがあるようだ。

「誰も困らないわよ。どうせ私1人なんだから。あなたのお知り合いも皆さんどうぞ。ツッ君、皆さんをご案内して。私はお茶の用意をするから」

はいつも通り、キィっと音を立てて門を開いた。一体いつ振りだろうか。
自分から誰かを家の中に招くなんて。しかも、よりにも寄って、どうして彼だったのだろうか。
彼女には、その理由が分からない。分からないが、理由を付けるならこれはちょっとした気まぐれなのだ。
特別な理由など、彼女の中には存在しない。




 いつもの日常には決してあり得ない、騒々しさがの目の前に広がっていた。
いつも一人きりの閑静な空間に、沢山の人間がいる事によって自然と生み出される音たちが溢れている。
呼吸の音、衣擦れの音、脚を踏みしめる音、板がしなる音、ドアが閉まる音。
沢山のリズムがの周りを踊っている。

「スゲー、このグランドピアノ、これはのか」
「そうなんです。昔は猫踏んじゃったとか、俺の好きなテレビのテーマソングとか」

がキッチンで手際良くお茶の準備をしていると、そんな会話が聞こえてきた。
そういえば、自分がピアノを始めたのはこの場所だった。
たまたま興味本位に触れた鍵盤は、小さい頃の彼女にとって魔法の箱だった。

「お譲、何か手伝いやしょうか」

強面の男が一人、気を使ってキッチンを覗き込んだ。

「いいえ、もう出来ましたから。ありがとうございます」

は言いながら笑顔で返した。
リビングに紅茶を運び、一人一人い紅茶を手渡しているとディーノが人気は瞳をきらきらと輝かせながら近付いてきた。

「なぁ、!何か弾いてくれよ」

なっ、とずずいと近付いてきて、えらく期待に心を躍らせているようである。
は近付かれた分同時に後ずさりしながら乗り気でない顔をした。

「もう夜だし」
「えっ、でも、確かここ防音だったよね」

体の良い言い訳をしていると、すかさず綱吉が言葉を挟む。彼もなんだか楽しそうだ。
そう言えば、彼にピアノを聴かせるのもなんだかんだで半年前のコンクール以来だったせいだろうと見当をつける。
しかも、あちこちから期待のこもった視線が、彼女に突き刺さる。
仮にもピアニストであり、プライドの高いが観客のリクエストに答えない筈がなかった。

「じゃぁ、少しだけ…」

は不承不承に了承すると、目の前の男の顔がこれ以上ないほど破顔した。
そして、パッとディーノはの手を取り、リビングを彼女の手を引いて横断し、をピアノの前に導く。
ストンと椅子に座ると、ピアノの蓋を開けそっと鍵盤に手を添えた。息を大きく吸い込む。
いつ、いかなる時もそこに自分の旋律を聴いてくれる人がいるならば、それが誰であろうと感謝の心をこめて思いを音にのせる。
それがピアニストとしてのの矜恃である。




 最後の音を紡ぐと、はゆっくりと鍵盤から手を離し、いつもそうしている様に観客にお辞儀をした。
その瞬間、初めて彼女の音を聞いた彼らは、溢れんばかりに両手を叩く。
鍛え上げられた男達の両手が、賞賛と敬意を称えて打ちあわされる。
誰かのブラボーという熱のこもった声が飛ぶ。少し恥ずかしくなって、はヘラっと笑った。


 ふと、横に立つディーノを見上げようとした。さっきから曲が終わっても全く反応がない。
ディーノの無反応に、彼女は一抹の不安を覚えた。
もしかしたら自分の様な学生の演奏を本場の人間が聞いて、あまりの低評価に脱力してしまったのかもしれない。
は顔を上げながらディーノに声をかけようとした。

ガシ!!

「ひっ!」

物凄い早さでディーノが動いた。それなりの力を持って両肩を掴まれたは、あっけにとられて言葉を失った。

「お前、本当に学生か!?」
「は、はい!」
「なんでまだ学生をしてんだ!今のは学生がする演奏じゃない!こんなとこでいつまでも機会を逃してるなんてダメだ!今すぐにプロに移行すべきだ!」
「いや、あの、ムリデス」

はディーノの剣幕に押され、思わず敬語で返してしまう。

「なんでだ!?俺はこんなに素晴らしい演奏を聴いた事がないぞ!」

ディーノはとても真剣に言う。まさかそこまでの賞賛を受けるとは思ってもみなかったので、は急に照れくさくなりながらディーノと距離をとる。

「えっと…褒めていただいたのはとても嬉しいのですが、でも私にはまだまだ勉強をしなければいけない事が沢山あるので、まだ駄目なんです」

は鬼気迫るディーノに気圧されながらきっぱり答えた。

「そうか」

しばらく彼女を真剣に見つめていたディーノだったが、いつもの彼らしく、でも少し残念そうに笑った。

「そいつは残念だけど、がそう決めてるんだったらしゃーねーよな」

それからはっと気付いた様に

「また、聴かせてくれよな」

と、笑った。






2015/03/30


D.C.♪♪