高杉晋助という少年は、一人の少女を探して屋敷中を歩き回っていた。別に特に用という事は無かったが、彼は少女といる時間が好きだった。
回りの大人たちのように、自分のことを特別扱いして遠巻きにしたりしない。彼女はいつだってまっすぐに彼を見ている。

誰よりも一緒にいて落ち着く人物だった。でも、素直になれない少年は、いつも彼女を邪険に扱うがそれでも彼女は変わらず晋助と接してくれる。
彼の気性の荒さは同い年の子供に犬猿されがちだが、彼女は自分たちの師同様にそんなことはなかった。

彼女には何を言っても、何をやっても許されるような安心があった。だからいつも知らず知らずのうちに彼女を探してしまう。
彼女がいそうなところはあらかた探したが、なかなか見つからなかった。そんなに広くない屋敷だ。残る場所はいつも座学で使用している部屋だ。
部屋の近くに来ると、くぐもった声が聞こえてきた。間違いなく探していた人の声だった。どうやら誰かと話をしているらしかった。

聞こえてきたもう一人の声が、誰のものなのか分かり晋助はむっとした。桂小太郎だ。晋助は彼のことが嫌いだった。
女みたいな格好も、理屈ばかり言うところも。昔から一緒にいる学友なのにも関わらず、彼のことがいつまでたっても嫌いだった。
そんな奴が彼女と一緒にいるのが、嫌だった。自分はさっきからずっと探していたのに、どうしてあいつが一緒なんだと思った。
幼い少年の中に、幼い嫉妬心がムクムクと膨らんでいく。晋助は足を止めて、二人の会話を盗み聞きした。

「髪が長くなってきたから明日切ろうと思って」
「しかし、折角そこまで伸ばしているのに」
「髪なんてすぐに伸びるよ」
「髪は女の命というぞ。邪魔なら切らずに結えばいい」
「だって、面倒くさい」
「女が面倒くさいとか言うな」

晋助はその会話をほとんど聞かず、急いできた道を取って返した。自分の家からあるものを取りにいくために。




少女は部屋の掃除をしていた。話をしていた友人は、少し前に帰っていった。と、どかどかとうるさい足音が聞こえた。どうやらこっちに向かっているらしい。視線を上げると、そこにはもうとっくに帰ったと思っていた晋助の姿があった。
少し息切れをした彼を見て、何かあったのかとは首を捻った。

、ちょっとこっち来いよ」
「何?晋助」

手招きする彼に従い、掃除をする手を止めて彼に近づいた。

「いいから、ここ座れ」

晋助は自分が立っている縁側の直ぐ近くを指差した。は言うとおりに座った。彼女が座ると、晋助はの背後に回った。

「どうしたの?」

彼の不自然な行動に、は晋助を振り仰いだ。また何か悪戯されるのではないかと、警戒をしながら。

「いいからおとなしく前向いとけよ」

晋助はそう言うと、の頭を抑えて無理やり前に向かす。無理矢理に動かされた首が、少々嫌な音を立てた。
そのことに文句を言おうとしたとき、不意に晋助の指が自分の髪を優しく掻き揚げたので文句は口の中に引っ込んだ。

「お前の髪、長すぎで見てるこっちが鬱陶しいんだよ」

言いながら丁寧に手で髪を梳いてくれる。その手つきの優しさが気持ち良くて、の瞼は自然と落ちる。

「分かってるよ。だから明日切るの」

稽古のときも、座学のときも、掃除をするときも、伸びた髪が邪魔になってきていた。それは傍目にも同じだったようだった。

「切るなよ」

晋助は不機嫌そうに、そう言った。そうしてもう一度

「勝手に切るな」

と、叱りつける様な声音で言った。

晋助は、の髪が好きだった。自分の大好きな師よりも少し淡い色の髪が、風に靡くのを見るのが好きだった。
まるで上等な反物の錦糸の様に美しい髪が、太陽の光を浴びて、淡く艶めく髪が、好きだった。その色は、彼女自身を表現するように、優しい色を宿してる。
だから、切らないで欲しかった。

「結ってれば邪魔じゃないだろ」
「でも、自分で結うの難しいもん」

は拗ねた様に口答えをした。切るなと言ってくれるのは、少なからず嬉しい。でも、だからといって邪魔なものは邪魔なのだ。

「んなの分かってるよ。だから結ってやってるんだろ」

知っている。だっていつも彼女のことを見ているのだから。
真面目で器用なくせに、どこか抜けている。何も無いところで転ぶし、初歩的な失敗も多い。愛嬌といってしまえばそれまでだが、見ているこっちは何かと肝を冷やす。
だから、自分が彼女の手助けをしなくてはと思ってしまう。助けてあげたいと、思う。他の誰でもなく、自分が。


は彼の言葉に、一瞬言葉を紡げなかった。彼の言葉がじわじわと心の中心に広がっていく。
いつも乱暴で、オレ様で人の揚げ足取るのが何よりもうまいくせに、時折こうやって不器用なりに優しくしてくれる。
喧嘩なんてしょっちゅうだし、口だけじゃなくて手が出ることなんて当たり前。でも、不思議といつも一緒にいる。
そうして、偶に失敗をすると必ず手を差し出してくれる人。
口では言わないけれど、自分が好きなこの髪を彼もきっと好いているのだろう。そのことが、くすぐったかった。

「明日も、明後日もその次の日も晋助が結ってくれる?」

嬉しくて、彼女は動くなといわれているのに満面の笑みで晋助を振り仰いだ。

「おい、動くなよ」

ぎょっとした晋助は、彼女の質問には答えず、束ねた髪を引っ張り前を向かした。
見えた彼女の顔に、心臓が跳ねた事をなんとか隠した。

「むー」

目の前の少女は、唸るような声を出した。拗ねた。晋助は思った。見ないでも分かる。きっと頬を膨らまして、口をへの字に曲げて不細工な顔をしているに違いなかった。
自分の求めた答えが返ってこなかったことに、は相当ご立腹らしかった。

晋助は、そんな彼女を見ながら少し考えて、

「んな当たり前のこといちいち聞くんじゃねぇよ」

と、ボソリと呟いた。



松陽は、いつもどおりテキパキと働く我が子の変化に気付き、声をかけた。

「おや、今日は綺麗に結っているんですね。

珍しく高い位置で結われた髪につけられた髪紐は、彼が見たことのないものだった。普段は首の後ろで結っているので、松陽の目にもその姿は新鮮に映った。

は父に褒められた事が嬉しかったのか、幸せそうに笑うと快活に応えた。

「晋助が結ってくれたんです!」

松陽は成る程、と納得した。この髪紐も晋助がに与えたものだろう。

「それは、良かったね」

嬉しそうに笑う愛すべき愛娘の笑顔に、松陽は目を細めて優しく頭を撫でてやった。








                                            2011/02/19