植物さえも生えていない荒涼とした開けた場所があった。夜半をとうに過ぎた時刻に、誰もいない筈のその場所にざくざくと一定の間隔で音が生み出される。
誰もいないはずの荒涼とした空き地に、人間が一人いた。女だった。
手に木の板を持ち、土を掘り返している。ざくざくとその人物は、土を掘り続ける。
決められた作業を淡々とこなし、無感動に、表情が読み取れない人形のようであった。
掘られる音に混じって、女の荒い息遣いが聞こえる。繊細そうな手先は、泥にまみれ血が滲む。
それでも女は作業をやめない。そんなこと露程にも関心がないようであった。
空気は、掘り返された土の臭いと生き物の腐敗した臭いが滞っていた。静謐な時間の中、その空間だけが切り取られえたように異様な空気が立ち込めていた。

そんな気味の悪い場所で、女はただ一人、土を掘り続ける。それを知るのは、嘲う様に冷たく浮かぶ三日月だけだった。







 日が暮れだし、戦闘を終えた志士たちが、続々と仮宿としている寺に舞い戻ってきた。
誰も彼もが疲弊し、口を開くものは数少ない。重い足取りはそれでも、仮初の安息の地へと向け動かしている。
身にまとっている白装束は、土や煤の他にも血糊がべったりとついていた。幸いというべきか、その中に彼の血液は含まれていない。
彼を襲うのは疲労と、背に背負うている深手を負った仲間の重みだった。
浅く吐き出される息は、正に虫の息である。それでも、この同士は確かに呼吸をし、生きていいる。
「もう少しの辛抱だ。おっさん。もう直ぐ医者に見せてやるからよ。ふんばれ。」
彼らの属する部隊の中に、凄腕の軍医がいると銀時は聞いていた。その軍医にこの男を見せれば、きっと助かると助けてくれると銀時は思った。
神の腕とも謳われるその軍医なら、仲間を救ってくれると信じ、重い足取りを叱咤し進んでいた。

 怪我人が運び込まれている本堂に入ると、そこはさながら戦場のようだった。広い本堂には沢山の重軽傷者が溢れ返り、空気は澱み、あちこちで苦しそうな呻き声が聞こえる。
その中に一人、女がいた。白い装束に身を包み、銀時よりもいくらか年かさの女は、動ける男たちに次々に指示を飛ばしていた。
両の袖や服全体には、所々に血が飛んでいる。女なら気を失ってしまうかもしれないような凄惨な光景に、まったく動じることなく彼女は立ち回っていた。
「おい!頼む!こいつを診てやってくれ、傷が酷いんだ!」
銀時は女にしっかりと聞き取れる大きな声で、めい一杯叫んだ。女医は銀時に目を留めると、まっすぐに向かってきた。
銀時は背から男を下ろし、彼女に男を任せた。彼女は男の脇に膝をつき、淡々と淀みなく男を診察する。
男から流れ出す大量の血に恐れることも、裂けた傷から真っ赤な筋や白い骨が見え隠れしているのさえ眉ひとつ寄せることはない。
銀時はその様を、向かい合う形で見守った。そして、女は口を開いた。
「こいつはもうだめだ。諦めろ。それより、お前はあのも」
「てめぇ!今なんつった!?」
その一言に、銀時はカッと血が頭に上るのを感じた。勢いに任せて彼女の胸倉を鷲掴んだ。
機械が決まった台詞しか言わないような、そんな何も感じられない声だった。今ここで人一人が、仲間が死にそうになっているというのに。
「まだ生きてんだよ!!息してんだよ!てめぇ医者だろうが!見捨てるっつーのか!?」
女はそれにさえまったく動じる様子はなかった。湖面のような双眸は、まったく波を立てず冷ややかに銀時を見ていた。
女はそっと銀時の両手に手を重ね無言で離すように命じた。自然と力の入っていた銀時の手が緩む。
彼女のそれまで綺麗だった胸元の部分に、銀時の手に付着していた土や血が移り汚れ、醜く皺がよる。女はそれを正すことさえしない。
「薬が足りん。死に逝く者に割いてやる物も時間もない。苦しむ最後をくれてやるか、今すぐ楽にしてやるかは任せる。」
女は銀時の鬼気迫る気迫に臆することなく、平坦な声音で銀時に言葉をかける。彼女の言葉に、銀時は更に沸騰しかけた。
「お前はあの者から兵糧丸をもらって休め。」
そう言った彼女の先には、10歳ほどの少年が男たちに何かを渡していた。

この時代、それはさほど珍しい光景ではない。親を亡くし、孤児となった子供が行き場をなくし戦場で見かけることなど、星の数ほどであった。
まだましなのは、彼の身なりがしっかりとし、彼にも仕事があるという点に尽きる。

「姐さん!こっちを見てくれ!」
女は今行く、と感情に欠けた声を発し、立ち上がった。その一挙一動にまったくの感情は表れず、まるで人形のようだった。
去りかけた女はふと足を止め、首だけを少しだけずらして銀時に声をかけた。
「新入り、医者は神ではない。死にたくなければ、傷を負わぬことだ。」
そう一言残し、女は今度こそ自分の仕事を果たすために去っていった。
それに入れ替わるようにして、2人の男が銀時が背負ってきた男を別の場所に移した。銀時は、床に着いた両手を握りこむことしか出来ず、声をかけるすらもできなかった。
「銀時。行くぞ。」
その様子を見かねた桂が、銀時を促した。
「ああ」
二人は連れ立って、先ほど女医から指示のあった少年の下へと来た。
少年は二人を見上げると、薬箱から新しい丸薬を取り出した。
「すまんな」
「ありがとよ」
二人は受け取ると、短く礼を言った。
「お疲れ様でした。ゆっくりとお休みください。」
少年は笑うことこそしなかったものの、二人に労いの言葉をかけた。たった一言。当たり前のその一言が、今の銀時の胸の真ん中を温めた。
「ああ、サンキューな」



「さっきの医者だが、殿だ。この陣で俺たちの看護の一切を任されているらしい。女だが、腕は確かだそうだ。」
やっと一息ついた桂が、銀時にそう説明した。戦場から帰ってきた者達は、それぞれつかの間の休息をとっていた。
銀時とのやり取りを一部始終見ていたのだろう、桂は思慮深げな様子でそう語った。

未だ騒々しい音が聞こえる本堂は、生と死の狭間の男たちの戦場なのだろう。
あそこに、あの冷淡な女がいる。
そう思うだけで、彼の心はざわつきギスギスとしていく。確かに医者としての腕は良いのだろう。
血にも脅えず、動じることもないのはもう随分とあの光景を見慣れてしまったのだろう。
「腕が良いとか関係ぇねぇよ。」
そんなこと、問題ではない。女だろうが、ここにいるということは事実あの女が凄腕と謳われるに劣ることのない人間だからだ。
銀時にとって、そんなことはどうだっていい。彼の言いたいことは、そこではない。
「あいつは、仲間を見捨てやがった。」
銀時は、怒気をこめて吐き出した。
仲間を見捨てた。何の努力もしようともせず、ただ機械的に決断を下したを銀時は許せるはずもなかった。

桂は、銀時の怒りを理解していた。銀時との付き合いは長く、桂自身も仲間を大切にするからこそ銀時の意見に賛同できる。
だが、それと同時に、女医のの下した合理的判断も理解できないわけではなかった。
戦況は劣勢であり、食糧から衣料品、武器までもが慢性的に不足していた。医療品に関して言えば、それ以上に入手しにくい状況である。
それどころか、ここは医師がいるだけまだ良い方だ。他の戦場では、傷を負えば素人同士が最低限の知識を持ってお互いに手当てをするが、その殆どが化膿や蛆が湧き腐敗し死に至る事や病で死ぬことも珍しくない。
冷酷に聞こえるかもしれないが、助かる命を確実に助け医薬品を浪費しない合理的な考え方である。
それほどに、情勢は圧迫されている。それが理解できるからこそ、桂には、彼女に真っ向から怒りを向けることが出来ない。
女が一身に看護の全てを任されているのは、実績と信頼があるからだ。
「彼女は随分と長く、戦場で看護をしてきたらしい。見切りを付けなければならないのも仕方のないことだろう。」
「・・・・・・・・・・・」
分かっている。そんなこと。十分すぎるほど、分かっている。だが、許せない。許していいはずがない。
人間の死を、あんなにも簡単に諦めていいはずがない。眉ひとつ動かさず、躊躇いもせず、あの女は言ったのだ。諦めろと。この男は死ぬと断言した。
銀時は思う。あの女にはないのだと。人間として一番大事なモノを、あの女は持っていないのだと。
銀時は合理的判断を否定できるほどの術を持たず、彼女の考え方を理解できるほど、大人でもなかった。






それから数日後、銀時は疲労から来る油断により深手を負い、女医の世話となった。
彼女の技術は洗練され、正に神の御技と言われるべきものだった。
彼女の甲斐甲斐しい治療のおかげで、銀時の傷は見る見る回復していった。それでも彼女からの安静命令が解けない銀時の元に数人の同士が訪れた。
「なぁ、白夜叉。頼むよ。」
「傷が回復しきってないのは、重々承知だ。だが、戦況がなぁ」
「あんたがいてくれれば、士気も上がる!頼むよ!」
脅えたような男たちは、口々に理由を並べ立て、傷の癒えていない銀時に戦場へ戻るように促した。
体は本調子ではないものの、無理が出来ない程でもない。
そして、銀時は自分の役割も十分理解しているつもりだった。自分は象徴なのだ。士気を高め、恐れられる存在。
ビクビクとこちらを伺う男たちさえ、仲間でさえも畏怖させる。その自分が求められるのであれば、行くべきかと考えた。
そうして部屋を出たところで、背中に声がかけられた。
「どこに行くつもりだ」
振り返ると、の姿があった。銀時の中で彼女の印象は、傷の世話になってから、幾分かましなものになっていた。
「どこへ行くつもりかと聞いている。」
その声音は、変わらず感情が抜け落ちているものだった。彼女は銀時の向こう側にいる男たちに湖面のような相貌を向けて、状況を理解したらしく言い放った。
「御主等がこやつを白夜叉だなんだと崇めるのは勝手だ。だが、私の患者に手を出すことは許さない。」
硬質な声音は、不思議と強制力を持ち、力では自分たちに劣るはずの彼女が優位なものであると錯覚させる。
「しかし、姐さん。そんなことも言ってられないんだ」
「あんたも、知ってるだろう。昨日の戦で大勢やられた。猫の手も借りたいくらいなんだ。」
「白夜叉の強さならきっとこの苦境も打開してくれるはずだ」
男たちは及び腰ながら、彼女に言い訳を次から次へと流し込む。しかし、案の定彼女はそれにもまったく何も感じないのだろう淡々と言葉をつむぐ。
「恐ろしく強くとも、こいつもただの人間だ。今は、休息が必要だ。こやつを殺したくなければ、私の指示に従うことだ。」
最後の一言に、男たちは簡単に引き下がった。
「坂田銀時。落ちた体力を戻すために散歩もいいが、程ほどにな。今は部屋に戻れ。」
彼女は黙って出て行こうとした銀時を咎める事も、責めることもしようとはしなかった。
「はいよ」
銀時は、だるそうにさっき出たばかりの部屋へと戻る。

『恐ろしく強くとも、こいつもただの人間だ。』

銀時は胸の中でその一言をかみ締める。きっと、彼女に他意はなかったのだろう。
彼女にしてみれば、銀時の体は間違いなくダダの人間のものと変わりない。しかし、今の彼にとってその一言は酷くむず痒い響きを与えた。
仲間たちさえ畏怖し、恐怖される存在となった今、同士扱いをするのは昔馴染みしかいない。
そんな銀時を彼女は決して、特別扱いしたりしなかった。ただ医者と患者として、彼女は銀時と接していた。



「傷の具合はどうだ、弥助。」
銀時に続いて部屋に入ると、は銀時と相部屋の男に淡々と声をかけた。
寝ていた弥助の傍に座り、3段に分かれている薬箱を脇に置く。言葉をかけながらは薬箱の蓋を開けた。
彼女の繊細そうな両手は酷く荒れていて、短く切りそろえられた爪には何故か土が入り込んでいた。

弥助と呼ばれた男はに快活に笑いかけ、嬉しそうに答えた。
「ああ、姐さんのおかげで調子良いぜ。この分なら直ぐにでもまた戦える。」
その言葉に薬箱を探っていたの手が、一瞬だけピタリと止まった。普段淡々とした円滑な動作をしている彼女だからこそ、その一瞬が銀時は異常に目に付いた。

銀時がの認識を改めるようになったのも、こういった些細なことの積み重ねだった。
彼女は全てのものに分け隔てなく、処置は的確で甲斐甲斐しかった。
淡白で薄情、一見すると冷淡さと取れる言動の裏に何かを感じられずにはいられなかった。
それはまるで、押し込められていた何かが咄嗟に垣間見えたよな錯覚を銀時に与えた。

「・・・そうか。私が診ているのだからな。当然だ。」
不遜な言葉は、ただ淡々と紡がれるだけであった。診察も滞りなく行われ、銀時が傷を見てもらう番だった。
「傷の治りになんら問題はない。さっきも言ったが、運動は程ほどに。夜ではなく、昼にしろ。」
「知ってたのか。」
は、夜な夜な人の目を盗んで剣を振るっている銀時を知っていた。だが、特に注意しなければならないほどでもなかったので、見過ごしていたのだ。
は薬を取り出し、患部に丁寧に塗りこんでいく。繊細な手は、酷く荒れていて、爪には土がこびり付いていた。彼女は土と死人の臭いが染み付いていた。
「医者ってのは、土いじりでもすんのか?」
銀時の言葉を無視し、作業続けながらは更に機械的に言葉を紡ぐ。
「太陽の光を浴びることは人体に、大変いいことだ。逆に、夜は休息を取るべきだ。お前だって、夜襲されるのは困るだろう。」
「へいへい、気をつけますよ。」
銀時は面倒くさそうに答えた。
「それに、夜は人を食らう鬼が出るという。食われたくなければ、夜は出歩くな。」
この女にしてはえらく突飛なことを言うものだと、聞き返そうとしたときの傍にいつもいる少年が部屋に入ってきた。
様」
「どうした?鉄」
鉄と呼ばれた少年は、難しそうな顔をしての傍に片膝をついた。
「京四郎さんが、熱を出し始めています。」
少年の言葉に、僅かにの眉間に皺がよった。
「愚か者が、私の薬を飲まなかったな。」
「すいません。俺が、ちゃんと見てなかったから」
そう言って俯いた少年の頭に、荒れた手を乗せは優しく撫でてやった。
その慈愛に満ちた双眸は、人間らしく、銀時はまさかさっきまで自分が話していた人間とは思えなかった。
「案ずるな、鉄。お前が知らせてくれたおかげで大事にならずにすむ。」
そう言うと、持っていた薬を少年に差し出した。
「私の代わりにこれを塗ってやってくれぬか」
「はい」
少年が返事をするのを見届けて、は速やかにその場を後にしたのである。
「お前ら兄弟なのか?」
「いいえ」
銀時の質問に、鉄と呼ばれた少年は薬を塗りながら律儀に答えた。
「ふ〜ん、にしてもあいつ、お前にはエラク甘いのな。」
少年は、戦場にいるにもかかわらず、身なりは悪くなく、貧相な体つきでもなかった。成長期の少年らしい体つきである。
外見を見ただけでも、という女がどれほどこの少年に心を砕き、食生活から身なりまで気を配っているのかが窺い知れる。
だが、銀時の知っているあの人形のような淡白な女がそんなことをするとは、正直不思議な感覚だった。
そう、表だけではなく、心の底まで凍りつかせている女のすることではないと思うのだった。
「俺は、戦には出ないから。」
「?」
様は、戦に出る人達が嫌いなんです。どんなに頑張って助けても死んでしまうから。でも、俺は戦に出ないし、助けてもらった命を大切にするって決めてるから。」
「そうか。」
困ったように笑った少年を見て、彼と彼女の間で何かしらの深い絆が垣間見れる。
『頑張って助けても』彼の言うと銀時の知るでは、どうしてもどこかずれた印象をもってしまう。
「お兄さんも、様のこと嫌いなの?」
「いや、嫌いじゃねーけど。」
だからといって、のことを心から慕っている少年の前でそんなことを問いただすことも出来ない。
誰だって自分の大好きな人が、人から嫌われることなんて、出来ればあって欲しくない。
「ちっとも可愛くねーな」
嘘ではない。ここ数日銀時は少しずつ彼女の事を身近に感じ始めていたのだから。
銀時の言葉に、少年は、はははと嬉しそうに笑った。
様はとっても優しいお方です。お兄さんのことも、とても気にしてらしたんですよ。」
「あいつが?冗談」
「本当です。兄さんみたいな強い人は、仲間に殺されるんだって言ってた。」
その言葉に銀時はギクリと、痛いところをつかれた感覚が襲った。目の前の少年はきっと、彼女の言ったことの意味を理解はしていないだろう。

強ければ、戦場の特に過酷な最前線へ行くことを求められるのは、自然な流れである。
強ければ強いほど、回りの期待は雪だるま式に膨らんでいく。その期待に応えたいと、本人も思うだろう。その無理がたたる行為が、確実にその人物を弱らせて死に近づけていく。
そういった人間を、彼女はどれだけ見てきたのだろうか。だからあの時、出て行こうとする自分を止めたのだろうか。

「だから俺、ずっと見張ってたんだ。」
「見張る?」
「そう、様に言われて、お兄さんの面会は桂さんとか、高杉さんとか許可された人しか会わせるなって言われてたんだ。」
なるほど、様子を見に来た人間が古い友人ばかりだったのはそのせいかと納得した。
昔から付き合いのある奴らは、銀時を無碍に扱ったり、戦場に駆り立てようということは到底するはずが無いと踏んでいたのだろう。
実際、桂や他の者達は傷の具合は聞いても、戦場に早くもどれとは言わなかった。高杉は一度も来ないが。
「でも、昨日の戦で沢山死人と怪我人が出て、人手が足りなくなったから俺も他にしなきゃいけないことが出来て、大変なんだ。」
それでさっきの奴らが、隙をついて銀時に会いに来たということか。肝心なところでに邪魔されたが。
「そうか。あいつもいろいろ考えてんだな。」
「――――――ねぇ、良いこと教えてあげようか。」
妙に真剣な顔つきになった少年は、声を潜めて話した。
「この辺は、人を食う鬼がでるんだ。」
「おいおい、坊主。待てよ。そんなジョーダン俺が信じるとでも思って。」
顔の筋肉が引き攣るのを感じながら、銀時は少年の言葉を遮った。
それでも、少年はひたむきな強さを瞳に宿し、銀時へと伝えたのである。
「信じなくても良い。ただ、本当のことが知りたかったら、夜に北円堂に隠れて待ってるといいよ。可哀想な鬼が来るから。」




は月を見ていた。高く上った月は冴え冴えとした冷たい光を地上に降り注いでいる。
刻限は子の刻を少し過ぎた頃。殆どの者が明日のために寝静まり、厳かな静寂に包まれていた。
彼女の傍に生きている生物はいない。あるのは冷たく硬い死体のみ。
は空に向ける目を落とし、地上に転がるそれらに視線を落とした。モノと化した何十体もの骸は、何も彼女に語らない。
はいつもの通り、手近な死体へと近寄り触れた。冷蔵庫で冷やした生肉のような冷たさ、人間だったとは思えない硬い質感。それさえも今の彼女には、慣れ親しんだものだった。
この前の戦で沢山の者達が死んでいった。そうでなくても毎日必ず、人間は死んでゆく。場末の死体安置所は、死体で溢れかえっていた。
その一つ一つを、彼女は腐敗や蛆虫が湧くのを抑えるため臓物を引きずり出し、丁寧に清める。彼女の手によって、生きていた者達は中身のないただの器になった。
その作業も、彼女の仕事のうちのひとつだった。人を生かす筈の両腕は、死臭にまみれていた。

人間だったものを担ぎ、荷車に丁寧にのせてやる。1体2体とただただ重いだけの死体を、彼女は丁寧に丁寧に荷車に寝かせる。
5体目を乗せたとき、彼女の息は相当上がっていた。吸い込まれるように、彼女の荒い息遣いは静寂の海へと解けていく。
そして、は黄泉と現の境の地へと一人死体を乗せた荷車を引くのであった。


 植物さえも生えていない荒涼とした開けた場所があった。地面は等間隔に盛り上がり、月の光を浴びて濃い影を作っていた。その場所にざくざくと一定の間隔で音が生み出される。
手に木の板を持ち、土を掘り返している。ざくざくとは、土を掘り続ける。
彼女は決められた作業を淡々とこなしていた。繊細そうな手先は、泥にまみれ血が滲む。表情が読み取れない人形のようであった。
掘られる音に混じって、女の荒い息遣いが聞こえる。
荒い息を吐き出す口から、小さな音が漏れていた。誰にも届くことのない、小さな声だった。


「すまなかったな、悟助。平助、お前の右腕を探したが、見つからなかった。すまんな。」

苦しかっただろう。悔しかっただろう。でも、私はお前たちを助けられなかった。

私は、なんと無力なのだろうな。どうして、こんなに何も出来ないのだろうな。私には、土を掘ることしか出来ないよ。

引きちぎられた右腕は、遠くまで探しに行ったが、結局見つからなかった。もう、どれが誰の腕なのかさえ分からなかったよ。

「竜太郎、お前の刀は薩摩にいる妻子に届ける。」

前に、5つになる男の子がいるといったな。可愛い盛りじゃないか。奥方もきっと育児で大変な時期なのに。どうしてお前は帰らない。どうして私は、お前を帰せない。

あの子に会うまでは、死なないと言っていただろう。覚えているよ、私は全部。全部、全部覚えている。

世界に消されようと、時代に飲み込まれようと、私は覚えているから。

お前たちが、どうして死んでしまったのか

お前たちが、何に笑っていたのか

お前たちが、どうして悔しかったのか

お前たちが、何を守りたかったのか

お前たちが、どこに帰りたかったのか

私だけは、全部覚えているから。



「すまなかった、すまなかったな。お前たちを助けられなかった私を呪ってくれ。」


呪って、呪って、私を呪い殺してくれ。苦しいよ。君たちのいない世界は。痛いんだよ、心臓が。

空気は、掘り返された土の臭いと生き物の腐敗した臭いが滞っていた。静謐な時間の中、その空間だけが切り取られえたように異様な空気が立ち込めていた。




風に消えそうな声は、確かに銀時の耳に届いていた。世界から切り離されたようなこの場所は、同志達の墓場だった。
等間隔に盛り上がった土は、墓標すらなく、数えるにはあまりにも馬鹿馬鹿しい数だった。
静謐なこの場所は、土と腐臭で満たされていた。そんな気味の悪い場所に、女が一人穴を掘っていた。
銀時の存在を知覚することもなく、まるでとり憑かれたように一心に板で土を掘り起こしている。

『人を食う鬼がでるんだ。』

少年が告げた声が、銀時の耳の奥に蘇る。

『可哀想な鬼が来るから』

知っていたのだ。彼は、彼女の本当の姿を。極限まで人間らしさを殺ぎ落とした殺ぎ落とさなければならない理由が、ここにあった。
なぜ彼女は笑わない?なぜ彼女は冷たい?なぜ彼女は人を嫌う?なぜ人を嫌いながらそれでも、人の傍にいる?なぜ人を嫌いながらそれでも、人を救うことをやめない?
なぜ彼女は人形を演じようとした?

『彼女は随分と長く、戦場で看護をしてきたらしい。見切りを付けなければならないのも仕方のないことだろう』
は、人の死など望んでなどいなかった。ただ、救いたかっただけなのに、それをこの戦争は許してなどくれなかった。

様は、戦に出る人達が嫌いなんです。どんなに頑張って助けても死んでしまうから。』
助けても、助けても、両手から零れ落ちる命が、どれほど彼女に絶望を与えたのだろうか。


「すまなかったな、悟助。平助、お前の右腕を探したが、見つからなかった。すまんな。」
消え入りそうな声は、それでも水分を含んではいなかった。もう、泣く事さえも出来なくなってしまったのだろうか。

「竜太郎、お前の刀は薩摩にいる妻子に届ける。」
自分の仕事以外に関心がある様子を全く見せなかったくせに、どうしてそんなことを彼女は知っているのだろうか。

「すまなかった、すまなかったな。お前たちを助けられなかった私を呪ってくれ。」
いったい、どれくらいの死を見れば、仲間に呪われて死にたいと切望するようになってしまうのだろうか。

「ふざけんな」
ゆっくりとした足取りで、銀時は隠れることもせず、に歩み寄る。やっと銀時の存在を知ったの体が大きく揺れ、銀時を振り返った。
「夜は出歩くなと、行ったはずだが。」
いつもどおりの物言いだった。しかし、彼女の双眸は驚愕と悲嘆とその他様々な物が渦巻き、それらを殺すために揺れていた。
銀時は、腹の底から焼けるような怒りが、込み上げてきていた。こんなところを見られてもなお、全てを隠すように取り繕おうとする姿が何より気に食わなかった。
「何でだよ、何で何も、誰にも言わねーんだよ」
銀時の言葉に、は体を強張らせた。胸倉を掴まれても眉一つ動かさなかった人間が、彼の言葉に恐怖している。
「どうして、誰にも助けを求めねー。なんで」
「私は、お前らのような死に急いでいるものと酒を酌み交わすことも、心を通わすこともしない。」
銀時の言葉を遮り、は感情を殺した言葉を滑り込ませた。
「じゃぁ、なんでいるんだよ。ここに!」
「私は医者だ。傷を負う者、病を患う者がいてこそ必要とされる。ここにいることになんら矛盾などない。」
そう、矛盾など入る余地はない。医者は、怪我人や病の人間がいるからこそ価値がある。それ以外に、何の意味がある?
「それがてめーが、てめーを殺してでもここにいる理由か?」
そうだ、私は医者としてここにいる。それ以外に、私はなれない。なってしまえば苦しいから。
だから、ほっといてくれればいいのに、どうしてお前は私の前にいる?どうして、ここに来てしまった?
「違うだろーが!助けたかっただけじゃないのか仲間を」
「だったら何だ!?お前には関係ないだろうが!戦争に関わる人間は、死にたがりだ。そんな奴らは、さっさと死ねば良い!折角拾ってやった命を粗末にする奴は嫌いだ!忌々しい!」
怒気をはらんだ言葉を銀時に投げつけ、奥歯をかみ締め彼女は身の内に荒れ狂う激情を何とか殺そうとする。そんな彼女に、銀時はまっすぐに言葉を紡いだ。


「死にゃーしねぇよ。」


その一言に、彼女は息がすえなかった。言わないでくれ。そんな言葉。

「俺は死んでなんかやらねーよ。」
期待してしまうではないか、そして、お前も私に傷を残して消えていくのか。その言葉が、何よりも恐ろしいなど貴様らは死んでも理解することなど出来ないだろう。
「そんな月並みの台詞、聞き飽きた。お前のような台詞を吐く奴を、私は五万と見てきた。しかし、帰ってきたのは骸ばかりだ!」
骸さえ、何も残さず消えていった者達がどれほどいたことだろうか。
「てめーでなんでも決め付けてんじゃねぇよ!てめぇちゃんと言ったのかよ、死なないでくれって、行かねーでくれって」
「そんなこと、言えるはずないだろう!言えばお前らは死地には行かず、留まってくれたのか!?そんなことすれば、お互い苦しいだけだろうが!!」
独りは嫌だと言えば、もっと寂しくなってしまう。寂しいと気付いてしまったら、独りがもっと恐ろしくなってしまう。
それを口にしても、去る友を止めることは出来ないと知っている。なら、言わないほうがいいじゃないか
「残された人間の苦痛なぞ、知りもしないで!私に関わるな!最初から、何も感じなければ誰も苦しくなぞない!」
死体のように空っぽになってしまえば何も怖くない。心まで凍てつかせていれば、苦しいと思うことさえない。
「だから、生きてんだろーが」
生きているから、おめぇそんなに苦しそうなんだろうが。
「生きてるから苦しくて、嬉しくて腹抱えて笑う事だってあるんだろーが」
諦めることも割り切ることも出来なくて、誰かに背負わすこともせず、何もかもたった一人で抱え込もうとしている。こんな酷な事があるだろうか。
「私は!泣く事も笑うことも許されない。許されてはいけない。だって私は、救えたはずの沢山の友を見捨ててきたのだから。」
全力で頑張れば、もしかしたら救えたかもしれない。後の事等考えず、薬を使えば死なずにすんだかもしれない。
そうしたら、彼らは大切な人と一緒に笑いあっていられる未来があったかもしれない。でも、私はそれをしなかった。最後まで諦めてはいけない人間だったはずなのに。
だから、泣いて許しを請うことなどしてはいけない。自分だけが笑って、幸せを感じることなどしてはならない。
私を救おうと手を伸ばすこいつの腕を握ることなど許されない。許されて良い筈ないのだ。
「仲間だなんて言って貰える資格なぞ、ないのだっ。」
「仲間に資格なんて、必要ねーんだよ」
銀時はゆっくりと足を踏み出した。今にもくず折れてしまいそうな、彼女に向かって。はその一歩に後ずさりする。それ以上に銀時はとの距離を縮めていく。
「やめろ、くるなっ」
「てめぇが、鼻水たらして泣きながら縋ってきたら、死んでも帰りたいと思うだろうが。」
待っててくれる人がいるから、帰る場所があるからどんなことをしても、帰りたいと願う。
「言うなっ」
聞きたくないと、は聞き分けのない幼子のように耳を土まみれの両手で塞いだ。しかし、銀時は容赦なくその手を耳から剥がし、思いっきり自分のほうへを引き寄せた。
は簡単に銀時の腕の中に納まる。暴れるを銀時は逞しい両腕でしっかりと離さない。
「何べんだって言ってやるよ。」
「離さぬかっ」
死体とは違い、銀時の腕は逞しく優しくを包み込む。死体とは違い、優しいぬくもりが彼女の冷えた心と体を溶かしてゆく。
「泣きたいときは泣きやがれ、笑いたいときは笑いやがれ」
銀時の一言一言が、の心臓の真ん中にゆっくりと解けていく。
「ぐしゃぐしゃのきたねー顔で、待ってろ。それ以上に情けねぇぐしゃぐしゃの面で、てめぇの所に必ず帰ってきてやるよ」
の華奢な体が、銀時の腕の中で震えている。人の死を恐れ、孤独と罪に苛まれて。空気を震わす嗚咽は、間違いなく彼女のものだった。
人間は、そんなに綺麗に生きられないから。汚れて、ドロドロになってそれでも立ち上がるのは、そこに大切なものがあるから。
「ちゃんと泣けるじゃねぇか。それでいいんだよ。」
幾度、この女は悲しい夜を独りで過ごしたのだろうか。全てを抱えて、壊れそうになりながら必死に立とうとしていた。強くて、なんて脆いのだろうか。
「必ず、帰ってくる。俺ぁ死んでも約束は守る。」
腕の中で震える温もりが、こんなにも愛しいから必ず帰ると銀時は誓った。
「この戦が終わっても、それでも俺が生きてたら、そんときゃぁ一緒に月でも観ながら酒でも飲もうや」









 は、仲間たちの埋まっている荒地に一人佇んでいた。彼女のほかに、人影はなくただ煌々と月が浮かんでいる。
戦が終結してから3ヶ月がたった。鎖国は終わり、天人たちが幕府の上層部を管理するようになった。
終戦後直ぐに攘夷浪士の残党狩りが始まり、生き残った仲間は各地に散らばった。
それでもがそこから立ち去らなかったのは、無念にも死んでいった仲間たちの供養のためであった。
今日も百を超える仲間たちの墓前に花を添えに、この荒地に赴いたのである。
彼らの望んだ未来は来ず、最悪の結果だけが残ってしまった。それでも、彼女は彼らの死が無駄だったなどとは決して思わなかった。
結局、坂田銀時は彼女の元には戻らなかった。
彼女には分かっていたことだった。多くの仲間たちがそうであったように、彼も彼女に骸を残さずこの世を去っていったのだった。
それを恨めしいとは思わない。少なくとも、彼は一時でも自分の心を癒してくれたのだから。全てが終わり仲間たちが去っていった後、どうしようもなく彼を思った。
寂しいのに、苦しいのに、それを分かち合ってくれる彼はもういない。自分は生きているのに、最後の希望だった彼は、喪われてしまった。
分かっているのに、どうしてもここを離れる決心がつかない。


じゃりっと、背後でこちらに向かってくる足音が聞こえた。この地に残るのは、自分と自分の手伝いをする少年だけである。
結局、自分の手元に残ったのは、あの少年だけである。彼もいつか自立して、自分の元を去るときが来るだろう。
喜ばしい旅立ちであるはずなのに、それが少しだけ悲しい。
それを悟られないように、まっすぐに背筋を伸ばしは振り返った。
「鉄、どうかし」
振り返ったが見たのは、予想をした人物ではなかった。空に浮かぶ月と同じ髪の輝きをした一人の男が気だるげに歩いてくるのだった。
「どうして」
それ以上、なんと言葉を紡げばいいのか分からない。死んだと思っていた。一番酷い戦地にいて行方が分からなくなり、その後すぐに政府による残党狩りが始まった。
運よく生き永らえていたとしても、生きているは望みが薄かった。各所で狩られた仲間たちの首が、晒されていたが彼女は怖くて見に行くことが出来なかった。
「ああ?んだよ。久しぶりの再会に感極まって言葉も出ませんか?」
からかう言葉は、記憶にある男と寸分違わなかった。目の前の赤い瞳が月に照らされて優しい色を反射している。
「何故ここにきた?」
残党狩りはまだ終わっていない。戦時中攘夷浪士の隠れ家であった場所に不用意に来て、その身を危険に晒す馬鹿が目の前にいることが理性とは裏腹に震える程嬉しかった。
「なんでって、おめぇがここにいるからだろーが」
銀時は事も無げに言うと、自信ありげに口の端をあげて笑った。

『必ず、帰ってくる。俺ぁ死んでも約束は守る。』

いつだったか、そんな約束をした。ほとんど信じていなかった。信じれば、裏切られるばかりだったから。それでも、ほんのちょっと諦められなくてここを動くことがいつまでも出来なかった。
もしかしたら、帰ってくるかもしれない。帰ってくることはないだろうけど、それでも運よく生き延びれたら
帰る場所がなければ寂しいだろう。独りがどれほど怖いか知っているから、限りなくゼロに近いもしもを振り切ることなど出来なかった。

まさか本当にこんな日が来るなんて、思っても見なかった。

「俺は約束守ったんだから、次はてめーが守る番だぜ」
銀時は片手に持っていた瓢箪を掲げた。
「『この戦が終わっても、それでも俺が生きてたら、そんときゃぁ一緒に月でも観ながら酒でも飲もうや』だったか」
の声は、涙で震えていた。ハラハラと次から次へと頬を零れ落ちる涙は、月の光を吸い取って星のように瞬く。
「ああ、いくらでも付き合ってやる。上等な酒を持ってきたんだろうな」
は、零れ落ちてくる涙を拭おうとした。それよりも先に銀時の腕が、彼女の体を引き寄せる。
いつかの日のように、しっかりと彼女を抱きしめた。その腕は、もう誰かの命を奪うためにあるのではない。

は心の底から嬉しくて泣いて、心の底から嬉しくて笑った。

「お帰り、銀時。おかえりっ」

は両手を精一杯伸ばし、銀時の背に縋りつくように抱きしめ返した。その腕は、もう誰かのために暗い穴を掘ることはない。





「ああ、ただいま」




言葉が優しい闇へと解けていく。荒れた墓地に佇む満ち足りた二人を知るのは、優しく微笑むように浮かぶ満月だけだった。





2011/02/07



企画バクチ・ダンサー提出。
駄文ですいません。もっとこう整理して、書きたいのに・・・短編って難しい・・・
リクがあるか気が向いたらシリーズ的な感じでもっと詳しく主人公の過去とか書くかも