パチリと火鉢の中の炭が、音を立てて爆ぜた。集中して裁縫をしていたは、その音に時間の経過を感じた。
火鉢の中を見てみれば、木炭が随分と燃えてしまっている。は火鉢に新しい炭を加え、少し休憩を取る事にした。
部屋の障子窓を開け見上げると、既に空は茜色から藍色へと変わって随分経っていたようだ。
吸う空気はキンと澄んでいて、吐く息は靄となってその温かさが形となりすぐに消えてしまう。
寒さにブルリと身を震わせ、彼女は自分の両肩を抱いた。
本当に寒くなってしまっていて、窓を開けただけで室内の温度はグングン低下していく。
遠くで人の営みの音が聞こえるが、にはそれが酷く遠いものに感じた。

―――今日の様な日は、火が回りやすい。気を付けないと―――

空気が澄みきっていて、乾燥した冬の日には決まってどこかで火の手が上がる。
寒い時期なので、火を扱う機会が増えるのも火事の要因の一つだ。
いつもは何のことはないちょっとした火種も、この時期には恐ろしいほど燃え上がる。
何年もこんな日を迎えてはいるが、やはりの心の隅の不安は取り除けない。
もし、火事が起これば彼らは隊務に従事するために出動しなければならない。
彼らの無事を祈りながらただひたすらに待つことしかできないのは、にとって恐怖でしかない。
出来る事なら年が明けるまで、何もなければいいのにとは願った。

「な〜に黄昏るの?」
「わ!?総司!?」

空を見上げていたの視界に、よく知る男の顔が急に覗いた。思いのほか近かった距離に、は驚き仰け反った。

「もう!!びっくりするじゃない!!」

は体制を立て直し、抗議の声を上げた。対する沖田は、飄々とした様子で立っている。

「そんなに驚く事ないじゃない。人を怪かしか何かだと思ってるの?」
「誰だっていきなり現れたら驚くわ。それで?何か用だったの?」

悪戯好きの彼にとって、これくらい悪戯の一つにも入らないだろう。まだドキドキと早鐘を打つ鼓動に、宥めるように左胸に手を添えた。

「温まりに来ただけ」

全く悪気なしに言われては、流石にの方も拍子抜けである。

「もう、ここは休憩所じゃないんだけど」
「いいじゃない、そんな堅い事言わずにさ。向こうにいると土方さんが五月蠅いんだよ」

の部屋は、屯所内でも奥まった外れにある。に用事があるものでなければこの一角には絶対に訪れない。
屯所の中で最も静かな場所である。彼女が屯所内に在住するにあたって、近藤と土方の配慮だ。

「それは総司がお役目をサボっているからじゃないの」

いつも飄々として、悪戯ばかりを土方にしている沖田を知っている。じと目で彼を見ながら、半ば呆れるように言い返す。
その間も冷気は着々と二人の体を冷やし、部屋に侵入しては部屋の温度を奪っていく。

「僕はちゃんとしてるよ。土方さんのは八つ当たりだよ。自分の方が仕事が多いからって、僕をこき使おうとするんだ」

自分が迷惑をかけられて困っている事を主張したいのか、沖田は疲れ切った様に嘆息した。
彼が毎日のように土方に悪戯をしかけて、其の度に怒られて追いかけ回されているのを知っているのでは真面目に彼の言い分を取りあわない。
どちらの言い分が正しいかと問われれば、間違いなく彼女は土方の言い分を正しいというだろう。

「少しは手伝ってあげればいいんじゃない?兄上の覚えも良くなるよ」
「冗談」

沖田は大仰に方を竦め、苦笑した。本当に頭からそんな発想はないと言いたいらしい。
無駄口を叩いていた沖田が、ぶるっと体を震わせた。

「それより早く入れてよ。凍えちゃう」

沖田は自分の両手にほう、っと息を吹きかけてこすり合わせ寒さを強調した。

「はいはい」

は観念したように襖を更に開き、沖田を部屋に招き入れた。

「う〜寒かった」

沖田は部屋に入るとすぐに、一直線で部屋の中央に置かれている火鉢に近寄った。

「今お茶入れるから」

は湯呑を二人分用意しながら、慣れた手つきで茶の準備をする。

「また繕いもの?」

我が物顔で火にあたる沖田は、少し離れたところに放置されたままの着物の山を見てに訪ねた。

「そう、最近多くて。総司あんまり火に近付いちゃ駄目だよ」

は盆に二人分の湯のみと急須を乗せ、沖田に振り返りぎょっとした。が思っていた以上に沖田は火鉢に近付いている。はすかさず沖田に注意を促すと、狭い室内を足早に沖田に近付いた。

「そう?普通だけど」

沖田はのことを気にせず、暖かい火鉢に手を翳し続けた。しかし、急に左肩を少し強い力で引っ張られ、上体が思わず仰け反った。

「駄目ったら、危ないじゃない。火事にでもなったら」

の切羽詰まった声と表情、最後の言葉に沖田は全ての合点がいった。なぜ、彼女がこうまで過敏に火鉢との距離を気にするのか。何故、必死に彼を暖かい火から遠ざけようとしたのか。

「ああ、そっか」

沖田はやっと得心のいった表情で頷いた。そして、どこか遠い眼をしながら

「一昨年の今くらいだっけ?大火事があったの」

と、確認するようにに問いかける。
は、ぴたりと動きを止めて彼の疑問にコクリと頷いた。いつも朗らかに笑う彼女からはあまり想像が出来ない不安そうな顔だ。しかし、付き合いの長い沖田は知っている。普段気丈で快活で笑いの絶えない彼女が、実は誰より臆病だという事を。

「そんな顔しないでよ。僕達は大丈夫だから」

冗談のように言った沖田に、の心はチクリと痛みを感じる。
は彼が自分に心配をかけない様に、ワザとそういった風に振る舞う事を知っている。
しかし、今回は自分のいつも心の中に秘めている本音を零してしまう。

「きっと、総司達には一生分からないわ。ただ待っているだけが、どんなに心細いか」

俯きながら小さくは言う。
いじらしくて、女々しくて、格好悪い。しかし、今は二人だけで気の置けない二人だからこそ吐露出来た少しばかりの本音だ。
本来なら絶対に、舌の上には乗せないだろう台詞。出口の見えないそれは、言ってしまうだけ辛くなるのだ。
今日は酷く空気が澄んで寒い所為か、彼女の口が何時よりよりも幾分か軽くなっている。

「じゃぁ、きっとにも分からないね。僕らがどんなに君が待つ屯所いえが恋しいか」
「え」

囁く声に反射的に顔を上げるのと、の腕が引っ張られるのは同時だった。
緩く強く、彼女を束縛するのは沖田の逞しい二本の腕だ。

「それに、こうして寄り添っていれば、火鉢が少し遠くったって暖かいでしょ」

包まれる暖かさとよく知る匂いに、肺がゆっくりと満たされてゆく。
強張った体の力を抜くと、全てを委ねるようには沖田に寄りかかる。

―――暖かい―――

しっかりと感じることのできるそのぬくもりに、は改めて彼がここにいる事を確認する。
当たり前で当然なそんな事が、今は心強い。
彼の腕が、冷たい外気からもどうしようもない不安からも彼女を護るように包み込んでいる。

「うん」

は頷きながら自分も沖田の背に手を添えて、きゅっと彼の着物を握った。
頼りなく延ばされた手は、彼を何かから優しく守る様に添えられているのだった。










2015/03/20
2014/01/12