既に日がとっぷりと暮れ、夕飯時も過ぎた頃に斉藤はある部屋を目指していた。
本来ならもっと日の高いうちに訪れたかったのだが、彼にも仕事があって結局行けずじまいで今に至る。
勝手知ったる仲とはいえ、やはり女人の部屋に夜に訪れるのは斉藤の気が引けた。
それでも、彼女は全くそんな事を気にもせず自分を受け入れてくれると知っている。それが嬉しい反面無防備過ぎて少し考えものである。
そんな事を考えているうちに、目的の部屋まで来てしまった。

、いるか?」
「はい」

部屋の主に一声かけると、直ぐに落ち着いた声が返ってきた。

「失礼する」

そう言って障子をあけると行燈の近くで針仕事をしていたらしいと目があった。

「何か御用ですか?斉藤先生」

そう言って彼女は斉藤に柔らかく微笑んだ。
彼女が仕事用の呼び名で呼んだのは、おそらく彼がまだ仕事着でいたからだろう。ついさっき仕事が終わったばかりなので、いまだに一息つくことさえ出来ていない。
はいつも公私混同せず、仕事中では彼を皆が呼ぶように斉藤先生と呼ぶ。それは隊内の規律を重んじる斉藤にとって好ましい行動だと思っている。

「いや、裁縫道具を借りようと思ったのだが、間が悪かったようだな」

彼女の手元を見て、少し残念そうにした。そんな感情のわずかな変化を読み取れるのは、隊内でも彼女位なものではないだろうか。
特に急ぎではないという空気を出し、斉藤はまた明日にするかと考えた。

「良かったの間違いじゃありませんか?私がやりますよ」

言いながら持っていた針を針山に置き、右手を自分に差し出す。言外にものを寄こせと言っている。

「いや、これくらい自分で」

彼女に新しい仕事を増やしてやるのは気がひけたので、斉藤は断ろうとした。

「一君、貸して」

は彼を笑顔で見上げながらずいっと腕を伸ばした。相変わらず微笑んでいるにもかかわらず、その笑顔が何だか怖い。
笑顔の裏に、言い知れない強制力を持っている。
こういうところは、なんとなく総司と似ていると彼は思っている。
彼女が一君と言ったことから考えるとこれ以上拒否するのは後々大変好ましくないと斉藤は判断し、後ろ手に障子を閉めながら彼女の傍らに腰を落とした。

「…これなんだが」

躊躇いがちに差し出した布をは受け取るとさっと確認する。

「あらあら、これまた随分と派手に引っ掛けたものね」

手でそこをなぞりながら、は言う。

「すまない」

斉藤の謝罪に、は呆れた様な困ったような笑みを向けた。
「別に怒ってないのに。これは私が直しておくから、あなたはその間に昨日着ていた物を持ってきてくださいな」
彼女の言葉に、彼は目を見張る。隠していたつもりが、どうやら彼女は知っていたらしい。

「いや、あれは」

珍しく口籠る斉藤に、はお構いなしにクスクスと笑った。

「どうせ、血みどろなんでしょ?私が綺麗にしておきますから」

彼女の言葉を嬉しいが、正直なところ彼女にあれを見せたくはなかった。
昨日の夜、不穏な動きをしていた隊士を数名粛清したときに着いた血糊だった。
斉藤のものはないにしろ、血生臭いことからは一歩引いた彼女にあんなものを見せたくはなかった。それを見て、彼女は何を思い感じるのか想像したくなかった。

彼女が血のついた衣類などを見るのは、大して珍しいことではない。それでもできればこの人には、そういったところから一番遠い所にいてほしいと思っている。
斉藤はそれが自分のエゴと知りながら、そう思わずにはいられなかった。たった一人、自分が守り抜くと誓った人なだから。

「一君の気持ちは嬉しいけれど、私の役目だから」

は斉藤が何を考えているのか手に取るように分かるのか、慈しむように微笑んだ。
その笑顔に、その心に自分がどれだけ救われているのか分らない。甘えだと知りつつ、彼女を頼らずにはいられない。

「いつも迷惑をかける」

少し目を伏せて、斉藤は謝った。
そんな斉藤に、は痛そうに少し眉根を寄せた。

「相変わらず生真面目な人ね。もう少し肩の力を抜いて生きないと、さぞ生きずらいでしょうに。私の前では、意地等意味がないですよ。何でもかんでも背負い込まないで」

彼女の気持ちは嬉しい。でも、それと同時に後ろめたさを感じてしまう。
自分たちが世間で嫌われ、人斬り集団と恐れられているのは分かっている。どれだけこの町の治安に奔走しようと、よそ者の自分たちが受け入れられることなどない。

「俺たちは、お前にしてやれることなどほんの少ししかない。だが、お前は」

それでも彼女は自分たちといる事を望んでくれる。なのに、自分たちはいったいどれほどの事を、彼女にしてやれるのだろうか。
ただ人を切ることしか能のない自分たちは、彼女を不幸にしているのではないだろうか。

「そう思うなら、必ず私の、の元に返ってきてください」

彼女の言葉に、ハッとして視線を上げると真摯な瞳とかちあった。

「それが、私の何よりの願いですから」

ぎゅっとが膝に置いた手を握りしめた。その手が、少し震えているのが斉藤には解った。

「それに、私は皆のお世話をするのが好きなのに、それをとっちゃわないでよ」

さっきまでの重い空気を払うように、彼女は笑いながら語尾を茶化した。

斉藤はそっと手を伸ばすと、が握りしめた手に触れる。彼女の手は小さくて、まるまる斉藤の手に包み込まれてしまう。
は力を入れていた手を、無意識に弛めた。

「俺はお前にしてやれることなど、ほとんどない。それでもお前が、俺の帰りを待っていてくれるというのなら必ず帰ってくる」

まっすぐに斉藤はを見つめた。

「はい」

は恥ずかしそうに、安心したように顔を綻ばせた。
彼女は春を告げる華々しくも儚い桜ではなく、ひっそりとたおやかに咲く桃の花のように愛らしい。
華美に咲き誇り、さっと霞のように消えてしまう花ではない。
いつも傍に、寄り添うように咲いてくれる。
彼女の願いは儚いと知りつつ、それでも彼女が望むのなら自分は彼女の唯一の願いを叶えようと思う。










2015/03/19
2011/03/08